ファイナンス 2023年10月号 No.695
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ファイナンス 2023 Oct. 39齋藤通雄氏に聞く、日本国債市場の制度改正と歴史(前編) 入札方式への移行服部 市場参加者の意見を聞いて、入札へと移行されていったということですね。当時は、シ団方式と並行してやっていたということでしょうか。シ団との調整も同時にご担当されていたということですよね。齋藤 そうです。日本の国債発行の歴史でいうと、元々戦後の国債発行は7年物の国債から始まって、それが10年債になりました。当時はナショナル・シ団という言い方をしていました。国債を引き受けてくれるシンジケートに日本の国内の金融機関がみんな入っていたんです。元々のシ団引受は、シ団の中でのシェアが全部固定だったんですね。業態で言うと都銀、地銀、信用金庫、保険会社、証券会社と、あらゆる業態がシンジケート団に入っていたわけです。シンジケート団の代表・取りまとめは全銀協の会長行がやってくれていました。毎年翌年度の予算編成ができると、翌年度の予算の中で国債の発行額がいくらというのが決まるわけですよね。昔、国債は全額シ団の引受で発行されていたところから始まっているので、予算が決まり国債発行額が決まると、「来年度はこれだけの金額の国債を出しますのでシ団の皆さん引き受けてください、よろしくお願いします」というセレモニーを、全銀協の会長を担当する銀行と取りまとめをするシ団幹事との間で、予算が出来上がる12月のタイミングでやっていたわけです。服部 12月末に金額を固めて、それを毎月毎月、少しずつ買ってもらうということでしょうか。齋藤 シ団引受は、予算編成のタイミングで年間発行総額が決まります。年度のトータルの引受額を、シ団と発行体である財務省との間で合意するというのが年末になされます。それはあくまでも年度を通しての総額なので、実際に毎月いくらにするのかというのは、毎月シ団と国債課の間で話し合いをしていました。昔、私が来るよりもっと前の時代ですけど、国債発行額が少なかった頃は、別に毎月国債を出さなくても、必要な国債は出し切れたんです。シ団と交渉する時は、今月いくら引き受けるというのと、金利何パーセントで、というのが当然交渉材料なわけです。シ団の人は民間の金融機関ですから、金融情勢に応じて「今月は金利をここまで上げてください」ということを言うわけですよ。そこで昔の大蔵省が「そんな高い金利では出したくない」となると、今月は国債発行はお休み、みたいなことも起こっていたわけです。それは国債発行額が少ない、のどかな時代だからできたことです。国債発行額がどんどん増えてくる中で、そんな悠長なことも言っていられなくなりました。シ団制度の話に戻すと、シ団の中で各業態ごとのシェアが決まっていて、さらにその業態の中で個別の金融機関ごとのシェアが決まっていました。そのシェアに応じて個別の金融機関が引き受けるというのがシ団引受の仕組みだったわけです。私は、固定シェアで引き受けてもらうというのは、国債のマーケットの発展という意味では、意味があったと思っています。というのは、個別の金融機関の状況を見ていくと、「今月うちこんなにいらないんだけど」とか「本当はもう少し国債買いたいんだけどな」ということも起こるわけです。でも、シ団の中でシェアが決まっているわけですから、それに応じて引き受ける。そうすると、「こんなにいらない」というところは引き受けたものを売りにいくわけですし、「もっと欲しい」というところは、引き受けた分に加えて追加で買いに行くわけですよ。だから無理やり固定シェアで引き受けてもらうことで、セカンダリーマーケットを発達させる役割があったのではないかと考えています。服部 固定シェアはどこかで変わっていくのでしょうか。齋藤 そこはシ団の自治の部分なので、シ団の中での話し合いによって決まります。当然金融機関の合併みたいなことがあれば、それによってシェアが変わりますし、業態ごとのシェアも、それぞれの業態の事情に応じて、シ団の中で話し合いをして変えていたんだと思います。ただ、発行額が増えれば増えるほど、全額を固定シェアで引き受けてもらうことは段々無理が出てきます。シ団の引受も、固定シェアで引き受けるのが発行額の全額ではなくて一部になり、残りの部分は入札で買い手を決める形になります。服部 それで入札のシェアがどんどん増えていくということですよね。齋藤 入札で買い手を決める部分の比率が増えていって、固定シェアで引き受ける部分が減っていくことになります。服部 入札にシフトしていったのは、国債発行額が増えていったというのがその大きな要因ということですね。

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