ファイナンス 2023年8月号 No.693
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ファイナンス 2023 Aug. 57令和5年度職員トップセミナー4.文化による社会包摂報道では、子育て支援金やお祝い金の額ばかり取り上げられていましたが、実際には、10数年間にわたるきめ細かい子育て支援と教育改革が行われ、その結果として子供の数が増えているのです。私は奈義町の「教育・文化のまちづくり監」を長くやっておりまして、教育・文化政策をアドバイザーというよりむしろ中核で担ってまいりました。成功の秘訣は簡単です。隣に人口10万人の津山市があります。岡山県北部は完全なクルマ社会ですから、津山で働く若い夫婦は車で30分圏内であればどこに住んでも同じなのです。そこで、子育てや教育に力を入れている奈義町が結婚や出産や子育ての場として選ばれるようになりました。奈義町は、若い人たちに特化した町営住宅なども用意しており、多くの人々が移り住んできます。さらに、子育て支援の様々な施設が整っており、ソフトが充実していて、相談などもしやすくなっています。休業中のガソリンスタンドを利用して、町がシール貼りなどの雑務をアウトソーゾングし、子育て中の主婦たちが子供を連れて1時間から働ける「しごとスタンド」を設置しました。お母さんたちからは、「千円、二千円が欲しいわけではなく、仕事ができて社会と繋がっている方がうれしい」という声が聞かれます。このような細かい取り組みを10数年続けてきたのです。それだけではありません。奈義町は、農村歌舞伎をずっと守ってきました。そのため、小学校3年生が全員学校で歌舞伎をやります。希望すれば、幼稚園から高校まで、歌舞伎か太鼓を無償で習うことができます。奈義町の町民でないと参加できないため、これがやりたくて移住してくる家族もいるほどです。また、建築家の磯崎新さんが設計した奈義町現代美術館や奈義町立図書館もあります。このような複合的な政策により、次第にアートのまちづくりが進み、特殊出生率2.95を実現したのです。北海道東川町は、奈義町と非常に似ており、隣にある旭川市から多くの人々が移住してきています。東川町は、「写真甲子園」を30年間続けており、また家具の町としても知られているので、家具のデザイナーが多く移住してきています。今の旭川市の若者たちは、東川町でデートするのです。東川町には、おしゃれなカフェなどがあるからです。東川町の人口は、1950年に1万人を記録した後、1990年代には6千人台まで減少しましたが、現在は8千人台まで回復しています。V字回復と言えるでしょう。東川町は強気で、人口はもう増やさない、と言っています。過疎でも過密でもない「適疎」を目指す、ということなのです。今、子育て世代の5割から6割が「移住を考えたことがある」と言われています。しかし、実際には移住しません。移住しない理由として、雇用や経済などが挙げられますが、実際にはどこも人手不足なので雇用はあるのです。移住を決断する上で重要なのは、教育、医療、そして広い意味での文化、それらが揃っていないと移住しないものなのです。奈義町や東川町の例からも、このことが分かります。移住を考える人々にとって、もうひとつ大きいのがマインドの問題です。「田舎は面倒くさそう」「人間関係が厚すぎるのではないか?」という不安があります。日本は稲作文化の宿命で、全員で田植えして、全員で草刈りして、全員で稲刈りしなければいけない、という強固な共同体を形成してきました。しかし、現在では青年会や消防団、夏の盆踊り、秋の祭りなど、全ての行事に参加しなければならないような強固な共同体には、もううんざりなのです。しかし、高度な芸術文化活動、スポーツ、環境保護運動、ボランティア活動など、強制ではなく、自分から積極的に参加したいアクティビティについては、人々は車で30分圏内であればストレスなく移動すると言われています。今後、日本社会は、強固な共同体から少し緩めて、緩やかなネットワーク社会に移行していく必要があります。その網目の接点に演劇があったり、音楽があったり、美術があったり、読み聞かせがあったり、農作業体験があったり、フットサルがあったり、そういうアクティビティを通じて人々がつながっているような社会に編みかえていかなければならないということです。(2)北海道東川町の例(1) 強固な共同体から緩やかなネットワーク社会へ

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