ファイナンス 2023 Aug. 19その後が、素晴らしかった。新垣プロは、次のホールへの歩みを進める途中、大里プロの背中に向けて、はっきり聞こえる声で「ナイスバーディー、桃ちゃん」と声をかけた。大里プロははっとして振り返り、短く「ありがとう」と言った。そして次のホールの新垣プロのティーショットを、大里プロは祈るようにじっと見ていた。新垣プロがフェアウェイど真ん中にショットを放つと、間髪を入れず、大里プロから「ナイスショット!」の大きな声が飛んだ。最近の若手プロは、実に清々しい。全員がライバルのプロゴルフの世界でも、競争相手にもこんなに優しくなれる。そうであれば、我々組織の人間は、もっと互いに優しくなって良いはずである。いつもそう思っているのだが、しかし、・・・・。エイゴは、辛いよ。(2023年番外編)カルフォルニアに飛ぶ。これは私が40年以上前にTVで見ていた昔話である。この州のPebble Beachというゴルフ場で、1982年に全米オープン(男子)が開催された。(まさに同じ地で、今年7月に22人もの日本人ゴルファーが参加した全米女子オープンが開催された。)1982年の全米オープンは、当時42歳の「帝王」ジャック・ニクラスと、32歳の「新帝王」トム・ワトソンとの一騎打ちとなり、最終日にニクラスは4アンダーでホールアウト。2組後の最終組を回るワトソンも4アンダーで、風が吹きつける中で海に向かって打つ17番209ヤードの長いパー3に向かう。トーナメントの最終日は、グリーンの真ん中にピン(カップ)を置くことは無い。悪魔のラフやバンカーの近くにピンを切り、ピンを攻めるか、(ピンから遠くなるが)グリーン真ん中に安全に打つか、の決断を迫る。ここでワトソンはあくまでピンを狙い、2番アイアンを振りぬくが、風に少しだけ流されボールは左奥のくるぶし辺りまである深いラフに入る。カップに向かうグリーンはかなりの下り。誰もがここを「3」で上がるのは無理で、ワトソンがボギーを打ち1打ビハインドで18番に向かうと思った。球は草に沈んではいなかったが、クラブヘッドが球の下をくぐると達磨落としで空振りになる可能性すらある。長年キャディーを務めるブルースは状況を見て「ピンに寄せよう(Get it close)」と言う。しかしワトソンは、「寄せる?違う。俺はこれを入れるんだ(Get it close? Hell, I'm going to sink it)」と言った。そして、膝を流して、信じられないような優美なふわりと浮いた球を打ち、見事にそれを入れた。それを見届けつつ走り出したワトソンは、突然立ち止まり振り返ってブルースに言う。「I told you !!!」なんて格好良いのだろう。私はTVの前で拍手した。そして海沿いの18番もバーディーとし2打差で勝ったワトソンは、優勝後のインタビューで語った。「あの17番のショットは、何百回も練習した。」 だからグリーンの真ん中でなく、ラフに行く覚悟で大胆にピンを狙うことが出来たのだ。そう、大事なのは、事前に十分に備えた上で、calculated riskを取ることであり、それが単なる無謀さと違うのだ。これはどんな時でも心しないといけない。6月21―22日にロンドンでウクライナ復興会議が開催され、自分も参加した。総勢1000名が参加する大会議であり、ウクライナの首相や主要国の首脳や閣僚、国際機関の幹部が多く参加した。日本からは林外相と林JBIC総裁がスピーチを行った。この会議は欧州主導の色が濃く、本会合以外の分科会セッションでも壇上に欧州企業が参加し、ウクライナでの事業展開につき積極姿勢を示す。(3) ウクライナでリスクを取るとは、どういうことか(ロンドンで学んだこと)[コラム]女子プロゴルファーの試合で学んだこと話は更に2022年秋の静岡県に飛ぶ。三島近郊の東名カントリー倶楽部で開催された女子プロゴルフのトーナメントを見に行った。あるホールで、大里桃子さんと新垣比菜(あらかきひな)さんの同い年ペアが一緒にグリーンに来た。2人ともいわゆる黄金世代である。まずカップから遠い方の大里プロが8mほどのパットを見事に入れ、ナイスバーディー。その後、それよりずっと近い新垣プロの3mのパットは、カップに蹴られて入らない。。。聴衆から大きな溜息が漏れる。新垣プロはこの年調子が上がらず、シード落ちの危機に■していた。
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