ファイナンス 2023年7月号 No.692
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志布志港湾合同庁舎志布志城跡宝満寺跡(3)志布志が5つ(1)国指定史跡「志布志城」(2)県指定文化財「宝満寺跡」(3)お釈■祭り 78 ファイナンス 2023 Jul.志布志出張所の宛先は、「鹿児島県志布志市志布志町志布志3259 志布志港湾合同庁舎 長崎税関鹿児島税関支署志布志出張所」と志布志の地名が5つつくため1度聞いたら忘れることのできないユニークな住所名です。者の主観で紹介します。前川の河口近く、沢目記川との合流点北側にあり、築城の時期は不明ですが、1365(貞治4)年頃、島津氏久が日向守護畠山直頭を追放して志布志城に入り、その後新納氏、豊州家島津忠朝が城主となりました。1562(永禄5)年には肝付兼続が当城を攻略して、同7年隠居所としました。1577(天正5)年以後島津氏領となり、南西麓の7 志布志のみどころ、グルメおすすめの志布志の見どころ、グルメについて、筆館跡に地頭仮屋が置かれました。内城は南北600m、東西300mと規模も大きく、空堀、土塁、虎口などが良好に残っています。また志布志市教育委員会監修の「志布志城 御城印」が作成され、お城の東城記念として発行されており、丸十紋と十字紋の2種類の御城印があります。宝満寺跡は律宗秘山密教院宝満寺の遺跡で、奈良時代の神亀年間(724年~729年)に聖武天皇が皇国鎮護のために各地に建立した勅願寺(天皇命令により建立された寺)のひとつと伝えられます。その後、1316(正和5)年に信仙上人英基和尚が、院宣を受けて勅願所として再興し、1320(元応2)年には西大寺より如意輪観音像を下向し本尊としました。1869(明治2)年の廃仏毀釈で廃寺となりましたが、歴代住職墓地、仁王像、下馬札などが往時を偲ばせています。仏教の開かれた「お釈迦様」の誕生を祝って開催される「お釈迦まつり」は、志布志地区で古くは江戸時代から行われている伝統行事です。また、花嫁を乗せたシャンシャン馬や、踊り連パレードなど多くの市民が参加しており、大勢の観光客でにぎわう県下三大祭りのひとつです。旧暦の4月8日に行われていたことから「しがつようか」がなまり、「しがっじょか」とも言われ、現在は4月29日(祝日)に行われ、宝満寺内にある仏像に甘茶をかけて洗い清める習わしがあり、歳の数だけかけて一年の無病息災を願います。

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