長崎税関鹿児島税関支署 志布志出張所長平川 敏則志布志港全景志布志市ロゴマーク「志武士(しぶし)ししまる」 志布志観光特産品協会 公式キャラクター(ぜひ志布志に来てください)志布志市 76 ファイナンス 2023 Jul.志布志港の港湾区域は、南北約6kmにおよび、北から本港地区、外港地区、若浜地区、新若浜地区の4つの地区から構成され、中国、台湾、韓国などを結ぶ定期コンテナ航路が複数就航しています。国内航路は、東京や阪神、沖縄などを結ぶ内航RORO船や、大阪南港とを結ぶフェリー「さんふらわあ」が就航しています。志布志港における木材の輸出は12年連続で全国1位となっており、日本の木材輸出量の30%以上を志布志港から輸出しています。また令和3年度の外国貨物コンテナ取扱量は、博多、北九州に次いで九州3位となっており、志布志港は南九州地域の重要な国際及び国内の物流拠点となっています。1 はじめに志布志港は、九州南東部の太平洋に面した地理的優位性を有し、また国内有数の農畜産地域である南九州地域を背後地に持ち、南九州における国内外の物流拠点、飼料供給基地として背後地域の産業を支えています。平安時代この地域は救仁院(松山・志布志・有明東部)と呼ばれ、前川の河口部は、国内最大の荘園「島津壮」の水門(みなと)としての役割を果たしていました。志布志の地名が、文献上に初めて現れるのは鎌倉末期の1316(正和5)年宝満寺再興の折、志布志津の一角を宝満寺に寄進すると表現された文書に見ることが出来ます。志布志城を居城としていた島津氏六代氏久は1374(応安7)年に明国に使いを派遣しており、当時から、中国や東南アジアと交易のあったことは山城の出土品からもうかがえます。2 志布志の地名由来志布志の地名は、天智天皇遷幸の伝説の中で、天皇に布を献上した妻女の優しい心にならい、召使いの女性もまた布を献上したところ、天皇は大変感激され、「上下より布を志す誠にこれは上下の志布志である」といわれて高濱の郷中すべて志布志と呼ぶようになったと伝えられています。南九州の重要港湾「志布志港」 〜いっどどま志布志に来っくいやい〜
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