「中小企業信用保険事業団の構想とは、中小企業信用保険特別会計を吸収し、新たに産業投資特別会計より176億円を繰り入れ、合計200億円の資本金(特別会計の資金30億円のうち6億円は保険会計の累積欠損の補塡に充当)をもって事業団を設置するというものであった。そして、その資金を信用保証協会の保証基金と商工中金への預金に充当してそれぞれの機関に資金を供給するとともに、利子収入を保険会計の赤字補填に充てるという運用が考えられていた。」*13) 当時の日本商工会議所会頭の藤山愛一郎氏のこと。会頭期間は、昭和26年9月から昭和32年7月。*14) 昭和財政史P.276*15) 昭和財政史によれば、事業団構想は次のようなものであった。 48 ファイナンス 2023 Jul.化に役立っているが、資金難のため代位弁済が遅延している、しかし地方財政の現状からみて更に多額の出えん等の援助を期待することは困難と考えられ国家資金の投入の必要性がある」旨の意見の下で、31年12月に藤山審議会長*13から石橋首相に次の答申がなされた。「(1)零細事業者にとっては、特に金融面の困難が、その事業遂行にあたって最も大きな隘路となっており、高利資金に依存して経営の破綻をきたす等の事例が極めて多く、その金融促進については速やかに強力な対策を講じる必要がある。(2)零細事業者の信用組合、信用金庫、相互銀行等金融機関からの借入を容易にするため協会の保証機能を強化・改善することとし、協会に対する国家資金の投入、保証保険料率の引下げ等を図るべきである」。」実は内容を単純化するためここまで述べていなかったものの、昭和26年12月に施行された信用保険法の一部改正により、信用保証協会の行った保証を、中小企業信用保険特別会計が保険するという「保証保険制度」が、信用保険制度上のメニューとして導入されていた。この中小企業振興審議会は、そうした既存の政策を念頭に、信用保証協会の保証業務を強化・改善して一層活用すべきと述べたわけである。当時の通商産業省は、こうした答申と並行して、昭和32年度予算要求において、中小企業信用保険特別会計を廃止して、新たに中小企業信用保険公社を設置し、当該公社を通じて信用保証協会に資金援助を行うと要求したものの、この時点での議論・調整結果としては、新法人の設立には至らなかった。しかしながら、こうした信用保証制度及び信用保険制度の有機的な統合に係る議論は、通商産業省だけの議論に留まることなく、「…一万田大蔵大臣も中小企業に対する新たな信用補完機関として「中小企業信用保険公社」の設立を表明し(32年7月)、前尾通商産業大臣、岸総理大臣も「中小企業信用保険事業団」構想を33年度中小企業対策の重点とすると言明…*14」するに至り、次第に、非常に大きな政策論点となっていった。(中小企業信用保険公庫の創設と信用補完制度の成立)さて、こうした経緯の中で、通商産業省は中小企業政策として、大蔵省は金融制度上の問題として、両省がそれぞれの立場から本件の解決に臨むこととなった。では、この議論はどのように決着していったのかというと、先に結論から言えば、現在の信用補完制度は、両省の議論が合わせ技となるような形で成立することとなったのであった。以下、具体的に述べていきたい。本件議論については、様々な論点が飛び交っていたところ、大蔵省は上記のように本件を金融制度上の問題として捉え、金融制度調査会に諮問、一方の通商産業省は、昭和33年度予算要求として上記の事業団構想*15を正式に提出した。そして、この通商産業省案を検討すべく、大蔵省は、金融制度調査会にて小委員会を設置し議論した結果、現在の信用補完制度に繋がるスキームの答申を受けることとなったのである。その内容は、昭和財政史(昭和27~48年度第5巻特別会計・政府関係機関・国有財産。以下「昭和財政史」という。)について次のように述べられている。「まず機能・業務分野の調整については、中小企業者に対する信用補完についてはすべて信用保証協会の保証によるものとし、中小企業信用保険特別会計は信用保証協会の債務保証に対する再保険機能を営むこととしている。次いで、両制度の関連性強化については、信用保証協会が中小企業者等の債務を保証した場合、当該保証債務をすべて中小企業信用保険特別会計
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