*11) 昭和財政史P.276,282*12) 中小企業振興審議会の設置背景等については、昭和31年9月10日の衆議院商工委員会中小企業に関する小委員会にて、川上為治中小企業庁長官が次のように述べている。○川上説明員(中小企業庁長官) 中小企業の状況につきましては特別に御説明申し上げるまでもなく、最近たとえば造船関係とかその他のいんしん産業の関係で、その下請関係が比較的よくなっておるというような状況もありますし、また全般的に日本の経済が最近におきましては非常によくなっておりますので、その関係から中小企業におきましてもある程度その恩恵なり余沢を受けておるというような状況になっておりますけれども、依然として中小企業の問題につきましては、あるいは金融の問題、税の問題、いろいろな点につきまして、一面におきましては非常に苦しい状況にございまして、何とかこの際中小企業に対しまして特別の措置を講ずべきではないかというような意見が、業者のみならず、各方面からほうはいとして起っておるような状況でございます。特に最近におきましては大企業関係が安定して参りまして、その反面におきまして中小企業は今申し上げましたように、なかなかまだ苦しいというような関係から、大企業と中小企業との経営その他についての較差がますます開いてくるというような状況になっております。従いましてそういう点からいいましても、中小企業の安定をこの際はかるということは非常に大事なことではないかというふうに考えております。私どもの方としましては、…いろいろな組織を通しまして事情を聞いておるのでありますけれども、中小企業の実態そのものにつきましてまだ正確に把握していないという点がございますので、早急にこの際実態を把握することが必要ではないかというふうに考えました…。…私どもの方としましては従来の調査は比較的概略の程度でありましたので、思い切って今後におきましてはもっと詳しい、ほんとうに中小企業の実態がどういう状態になっておるのか、どんな点に非常な問題があるのか、いろいろ業界の方からも訴え、あるいはいろいろな方面でいろいろ論議されているけれども、果してこまかいところでどういう点にほんとうの隘路があるのであるか、どうすればこれを除去することができるのかというような問題についてもっと詳しく調査したいというような気持で現在やっておるわけであります。そこで政府といたしましては、こういう状態になっておりますので、何とかこの際早急に中小企業の問題について解決点を見出したいということで、六月の末に内閣に中小企業振興審議会というのを設けました。…そうしていろいろな問題につきまして検討をしておりますけれども、まだ結論は得ておりません。大体この機関は臨時的な六カ月程度の機関ということにいたしまして、その間に当面の問題につきまして、あるいは根本的な問題につきましても早急に結論を得るものにつきましてはこの六カ月の間に結論を得るというようなことにいたしまして、先ほど申し上げましたように、今日まで相当回数を開きましていろいろ検討いたしておるわけでございます。ファイナンス 2023 Jul. 47信用補完制度の解説(3) 信用保証制度と信用保険制度の統合(現行の信用補完制度が成立)がなされていたものの「信用保険制度が小規模企業への傾斜を強めた」こともあり、事後的に制度重複という問題も生じるようになっていった*11。先に述べた信用保証協会(信用保証制度)と比較すれば、信用保険制度は、信用保険法と中小企業信用保険特別会計という国家レベルでのリソースが提供されたものの、そのリソースを適切に活用してゆくには、一層の制度改善の要が認められるという代物であった。さて、ここまでの内容を一旦簡潔に纏めてみたい。まず信用保証協会(信用保証制度)は、地方公共団体レベルからのボトムアップ的な性格を有する政策であったものの、信用保証協会に係る個別法すら欠くという基盤の脆弱性が課題であった。これは法的な面だけで無く、財政的な基礎という点でも同様であった。一方、信用保険制度は、喫緊の中小企業者等への資金繰り支援として、当時のGHQにも説明が通りやすいという観点も踏まえつつ導入されたため、法的及び財政的な基礎は有していたものの、その制度改善が課題であった。したがって、信用補完制度を構成する信用保証制度と信用保険制度は、お互いの課題をクリアするという観点では、当初から相互補完的な状況にあったというわけである。そのように捉えてみると、この両制度が信用補完制度という形で有機的に統合されることは、後世の者からすれば極めて合理的な結論に見えてくる。とはいえ、こうした後世の者が結論だけを見てそうすればよかったではないか、というのはあまりに結果論からの乱暴な感想であろう。これまで述べてきたように、信用保証協会(信用保証制度)と信用保険制度は、その背景から成立の経緯まで全く以て異なる別制度であったからである。では、当時としてはどのような議論・経緯の下で、有機的な統合という結論に至ったのか。現在に至る信用補完制度の成立までを、経緯面としては最後に追っておくこととしたい。(信用保証制度への国家資金導入論)信用保証協会(信用保証制度)は、これまで述べてきたとおり地方公共団体レベルの積み上げで作られてきた政策であるところ、その反面と言うべきか、財政面での安定性に欠けていた。そのため、信用保証協会法の制定時点(昭和28年)でもその論点は議論され、その際は「信用保証協会に対しては、更に中央及び地方自治体の財政援助等が行われ、協会の機能が強化せられるよう政府は格別の措置を講ずるよう善処されたい」と附帯決議がなされるに至っていた。そうした中での昭和31年、事態が動き始めることとなる。この年に政府が設置した中小企業振興審議会*12は、当時の石橋湛山首相に、信用保証制度への国家資金の導入を促したのである。50年史の記載を引用したい。「…政府は6月の閣議で中小企業対策の基本問題を金融等から研究する「中小企業振興審議会」を設置し、協会の強化改善を重要課題に数次に亘り審議した。そこで、「信用保証協会は、零細企業金融の円滑
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