ファイナンス 2023年7月号 No.692
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また、意見に亘る部分は筆者個人の私的見解であり、政府や財務省の公式見解ではない。ありうべき誤りは、全て執筆者個人に帰属するものである。(1) 地方公共団体レベルで信用保証制度が先行(民法上の法人からスタート)1.はじめに前回、信用補完制度が構築されてゆく上での嚆矢となった信用保証協会の創設背景について述べたところであるが、では実際に信用保証協会は、どういった形で誕生し、また最終的に信用補完制度という形に結実することとなったのか。今回は、前回の内容を前提にしつつ、信用補完制度そのものの経緯を辿ることとしたい。(注)  引用にあたり、原文は旧字体であるものについて、一部については、常用漢字に直している。また、印刷の都合上、環境依存文字となる一部の記号は、適宜変更している。なお、引用している条文等は、特段断りがない限り、令和5年4月1日時点のものとした。2. 信用補完制度の成立〜信用保証と信用保険の統合〜大臣官房信用機構課地震再保険係長(前 政策金融課政策金融第2係長) 中川 忠明 42 ファイナンス 2023 Jul.(2)国が民間金融機関に対し保険する信用保険制度(3)信用保証制度と信用保険制度の統合(現行の信日本における信用補完制度は、今でこそ、民間金融機関と中小企業者等を信用保証協会が繋ぐ(保証する)信用保証制度と、信用保証協会を株式会社日本政策金融公庫の信用保険事業(以下「公庫保険」という。)がバックファイナンスする信用保険制度の2制度が組み合わさっていると一般論のように語られるものの、当初からそのような一体的な制度が企図されていた訳ではない。では、どのようにしてこのような制度が成立したのか。これは、結論から述べてしまうと、次の三段階を踏んでいる。(1)地方公共団体レベルで信用保証制度が先行(民法上の法人からスタート)が登場(特別会計からスタート)用補完制度が成立)そして(1)は、国レベルでは当時の大蔵省が主に所管する形で進められた一方、(2)は当時の通商産業省が主に所管し、(3)の段階で、国レベルの所管を含めて(1)と(2)の領域が混交する(信用補完制度が成立)という展開を辿る。その上、省庁再編以降は、いわゆる財金分離(大蔵省から財務省及び金融庁への省庁再編)に伴い、(1)に当たる領域は金融庁と経済産業省、(2)に当たる領域は経済産業省と財務省が所管するということとなる。信用補完制度の経緯は、簡単に文面にしてもこの有様であるから、後世の者(とりわけ実際に制度を利用される国民の皆様)からすれば、分かりにくいことこの上ない。こういった経緯の複雑性も、あまり信用補完制度に係るまとまった解説がない背景なのかもしれない。とはいえ、このような背景を知ること無くして、何故このような制度が成立しているかを理解することは難しい。そこで、ここでは「連合会50年史」(社団法人全国信用保証協会連合会。以下「50年史」という。)にその多くを負いつつ、上記の(1)から(3)の順で、現行制度に至る全体像を把握することとしたい。中小企業者等の資金繰りを支える「信用保証協会」は、中小企業政策を支える代表的な機関の一つであり、現在は、内閣総理大臣(金融庁)及び経済産業大臣(経済産業省(中小企業庁))が、その主務大臣である。中小企業政策については、どうしても経済産業省(中小企業庁)がそのメインになるほか、上記の通り、財務大臣が主務大臣でもないということもあり、信用保証協会について財務省というイメージを持たれる方信用補完制度の解説~主に信用保険制度の観点から~(Ⅱ)

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