ファイナンス 2023年6月号 No.691
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*5) 日本で最初の銀行として、第一国立銀行が開業した。ファイナンス 2023 Jun. 29信用補完制度の解説に、実際に保証承諾となった際には、民間金融機関への利払いとは別に、借主は信用保証協会に対し保証料を支払う、という仕組みになっている。この制度が、一般的に信用保証制度と呼ばれるものである。次に、こうして保証料を得た信用保証協会は、あらかじめ公庫保険との間で保険契約を締結しており、必要な保険料を支払う。こうすることで、仮に上記のように借主が返済できず、信用保証協会が民間金融機関へ代位弁済した場合は、公庫保険から信用保証協会に対し、保険金が支払われるようになる。言い換えれば、信用保証協会がその自身の財務状況等により、過度に躊躇することなく、必要な信用保証を提供できるようになっているのである。この制度を、一般的に信用保険制度と呼んでいる。とはいえ、いくら保険料を得ているとはいえ、このままでは公庫保険の財務基盤が脆弱となった場合、十分な信用保険が提供できなくなり、結果的に信用保証も提供が難しくなってしまいかねない。そこで、公庫保険に対しては、政府から国家予算に基づいて出資がなされている。有り体に言ってしまえば、信用保険制度は、国家資金をバックにすることで、制度の安定化を図っているわけである。そして、このような信用保証制度と信用保険制度からなる制度の総体を「信用補完制度」と呼ぶ。また、ここまでの内容をイメージで示すと、図表1のとおりである。実際は、様々なアクターが登場するためより複雑なのだが、上記の内容を踏まえつつこの図をご覧いただければ、大まかな制度構造はご理解いただけるのではないかと思う。なお、この信用補完制度のうち、信用保険制度の部分から見た実績状況が図表2である。先述の通り、信用保証協会の行った信用保証は、結果的に公庫保険による保険契約との関係に集約されるため、公庫保険の業務実績を見ることで、その全体像を捉えることが容易となる。新型コロナに係る資金繰り支援において、信用補完制度が大いに活躍したことは冒頭で述べたところであるが、令和2年度の実績を見れば、いわゆる平成金融危機(金融安定化保証の時期とする場合、平成10年から12年の間)やリーマンショック(緊急保証の時期とする場合、平成20年から22年の間)といった危機時をも上回る活躍を求められたことがわかるであろう。このようにして信用補完制度は、現在の日本において、危機時への対応を含めて、非常に重要な資金繰り支援ツールとして安定的に稼働・定着している。なかなか目には見えづらく、いかんせん複雑であるので理解されにくいものの、国民生活の安定と発展に寄与してきた重要な制度と言って過言ではないであろう。では、このような制度は、何時、どのようにして成立してきたのか。また、その根源を辿るのであれば、どうしてこのような制度が必要とされたのか。まずはそこを明らかにしていきたいと思う。単なる歴史的記述と言ってしまえばそれまでかもしれないが、いわゆる「そもそも」を理解することが、結果的にその制度を理解する上で最短距離になると考えるからである。したがって、そもそもの議論を理解するには、戦前期の世界観を理解することが、結果的に最も早いのだろうと思う。現在では考えられないような論点が存在していたのか、それとも現在社会にも通底する問題がそのころから存在するのか、まずはその原点となる環境を確認することとしたい。専門的な金融史からすると極めて簡素なものではあるが、そもそもの日本における金融機関の誕生経緯を、まずは押さえておこうと思う。日本が近代国家として歩み始める中で、明治初頭に銀行制度*5が導入されたことはそれなりに知られたことと思われるが、銀行制度が普及していく一方、いわゆる中小企業者をはじめ、多くの事業者等、より広く言えば借入を希望する者にとって、銀行は遠い存在で3.信用補完制度が必要とされた背景日本の信用補完制度は、先に結論から言ってしまうと、戦前の信用保証協会の創設から始まり、戦後に再保険機能が加わり、最終的に、中小企業信用保険公庫(現:公庫保険)の設立を以て、現在の信用補完制度が成立するという経緯を辿ってきた。(1)戦前期までの日本の金融環境

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