ファイナンス 2023年5月号 No.690
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(出所)令和5年4月8日に筆者撮影ファイナンス 2023 May 49プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。近著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)図5 最近の呉服町(住居表示は呉服元町)年(1998)に白山町のダイエーが閉店した。その翌年、呉服町の南里本店が閉店。寿屋も撤退した。2000年代に入ると、佐賀玉屋の倍をさらに上回る規模の巨艦店の開店が相次ぐ。平成12年(2000)のイオンモール佐賀大和、平成15年(2003)のモラージュ佐賀である。対して中心商店街が再興を期した次の一手が第三セクターの再開発ビルである。平成10年(1998)、3階建の商業層、5階以上の住居層からなる12階建「エスプラッツ」が竣工した。しかし集客に苦戦し平成13年(2001)に破たん。平成15年には商業スペースの閉鎖に至る。空洞化が進み、呉服町に最後まで残っていた窓乃梅も平成17年(2005)に閉店した。平成18年(2006)、県下最大の店舗面積を擁するゆめタウン佐賀が開店。最高路線価地点が「駅前中央1丁目駅前中央通り」に移転した。令和4年のm2当たり路線価をみると、ゆめタウンの南側が74,000円、モラージュ佐賀近くの環状東通りが55,000円。これに対し呉服町は48,000円と郊外商業地を下回る。福岡銀行や三井住友銀行が大通りから移転するなど駅前のビジネス機能が高まった側面もあるが、むしろかつての中心地に従来あった商業機能が弱まった影響が大きい。平成20年(2008)には呉服町のアーケードが撤去された。商業再興の文脈では後退にみえるが、「住まう街」の視点でふりかえれば再生の兆しだった。平成23年(2011)、市は「街なか再生計画」を公表。エスプラッツ、佐賀玉屋、佐嘉神社地区、呉服町・柳町を4つの集客拠点とし、4点を十字で結ぶエリアに人が歩く仕掛けを整備し、その後周辺に波及させるコンセプト(4核構想)が土台にあった。公民連携組織の「街なか再生会議」が策定に関わっている。連携において市側で取り組んだのは公共施設の誘致である。例えば窓乃梅の跡地には国保会館を誘致した。ダイエーがあった場所には商工会議所のビルが建った。その近隣にはハローワークを呼び寄せた。エスプラッツの商業スペースは市が買い取ってリニューアルした。1階にスーパーやドラッグストア、2階は診療所や保育園、カルチャーセンターが中心の構成になった。市営の佐賀バルーンミュージアムは元々ニチユー本店だった店舗を改装したものだ。民間側の仕掛け人が「街なか再生会議」の座長、地元出身の建築家西村浩氏と事務局のNPO「まちづくり機構ユマニテさが」である。初期の取り組みで目を見張るのが「わいわい!!コンテナ」だ。街なかの青空駐車場や遊休地を“原っぱ”に置き換えるコンセプトの下、佐賀銀行の旧呉服町支店の向かい側の空き地に芝生を敷き、3台のコンテナを置いた。コンテナはそれぞれミニ図書館、チャレンジショップ、ワークショップに使える交流スペースになっている。住友銀行の移転後に建った呉服店のビルだが、当の呉服店も平成19年(2007)に撤退し空きビルになっていた。その後、改装され現在はコワーキングスペース等が入るON THE ROOFになっている。他にも通りに新しい建物が増え、少なくとも通りに面する青空駐車場が無くなった。また、NPO主体で新規出店者と空き店舗のマッチングが進められ、シャッター街の空き店舗が少しずつ埋まってきた。今では図5のような風景になっている。商業機能が衰退する一方で跡地にマンションが建ち、街なかに住む人は元々増加傾向にあった。他方、週末は車で郊外に買い物に出るのが常態であり、買い物以外の日常生活を楽しむ面では課題があった。これに応えるのが、空洞化を逆手にとり、空き地を意識的にデザインされた街の余白とすることで、エリアの価値を高める発想だ。街なかを縦横に巡る掘割が、住まう街の風情ひいてはステータスをさらに高めている。“空き”を逆手に再生進む呉服町

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