環状東通り環状西通り図4 広域図(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成長崎自動車道佐賀大和IC’00-イオンモール佐賀大和店舗面積41,053㎡R263バイパス佐賀バイパス佐賀駅跡図2の範囲貫通道路環状南通り’06-ゆめタウン佐賀58,016㎡佐賀本店’03-モラージュ佐賀36,900㎡行舎を改修して現在の外観となった(図3)。正面に4本並ぶドーリア式の列柱が特長だ。昭和21年(1946)に佐賀中央銀行の本店となり、佐賀銀行が発足してからは同行の呉服町支店となった。その後、平成11年(1999)に移転するまで同じ建物で営業していた。昭和30年(1955)7月に2行が合併して発足した佐賀銀行のもう1つの前身が佐賀興業銀行である。明治15年(1882)3月に創業した県内初の私立銀行である伊万里銀行の他、武雄銀行、有田銀行、洪益銀行の3行が合併して設立された。設立は昭和14年(1939)8月で、武雄市に本店を構え佐賀県の南西部を地盤としていた。4行合併を機に佐賀支店を新設。呉服町の隣の東魚町にあった。その2年後に佐賀百六銀行の旧5支店を継承し県域銀行の足場を固める。昭和19年(1944)10月には佐賀市唐人町、現在の佐賀銀行本店の場所に行舎を新築し本店を移した。佐賀百六銀行が住友銀行の傘下となり、古賀銀行が休業・解散して以来、久々の地元本店行の誕生だった。昭和40年(1965)8月、土橋(中央橋)から直進する形で中央大通りが開通。1筋西の県庁前通りに代わって南北のメインストリートになった。あわせて都市の主要な機能が集まってきた。まずは開通年の12月に佐賀玉屋が百貨店を新築し呉服町から移転。昭和42年(1967)、日本勧業銀行も玉屋の向かいに行舎を新築した。その隣には2年後に福岡銀行が支店を開設。その次の年には住友銀行が呉服町から移ってきた。昭和47年(1972)10月、白山町にダイエーが進出した。他方、中心の座を譲ったとはいえ、呉服町界隈の賑わいが衰えたわけではなかった。佐賀玉屋が移転した店舗には入れ替わりでミヤコが入居した。昭和中央大通りの開通昭和43年(1968)、最高路線価地点が中央大通りに移った。地点名は「松原町玉屋百貨店東側通」である。元々、佐賀駅と佐賀城址の県庁を結ぶ南北軸は県庁前通りだった。内堀の外に出ると大通りに沿って左側に佐賀市役所があり、その先の右側には明治31年(1898)から佐賀県農工銀行が店を構えていた。大正10年(1921)に日本勧業銀行に吸収され、再編を経て現在のみずほ銀行に至る。48年(1973)住友銀行跡に西沢本店が呉服店を新築。その翌年、佐賀銀行呉服町支店の向かいに南里本店が開業した。昭和54年(1979)には、地元酒蔵の分家筋のス―パー「窓乃梅」が地上4階建の店舗を新築し、九州最大手チェーン店の寿屋が上階に入った。四方を囲むバイパス道路と郊外流出呉服町界隈の賑わいに陰りが出てきたのは90年代後半である。平成4年(1992)、佐賀県の世帯当たり乗用車が九州7県で最も早く1台を超えた。80年頃から現在に至るまで普及率は7県で最も高い。市街の東西南北を環状に囲むようにバイパス道路が整備され、ロードサイド店が増えてきた。郊外勢に押される形で平成10 48 ファイナンス 2023 May
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