✟ 思案橋→佐賀江川・有明海(諸富港)議所跡商工会市役所跡(出所)令和5年4月8日に筆者撮影図2 市街図(出所)筆者作成卍卍ファイナンス 2023 May 47卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍図3 旧唐津銀行・旧佐賀中央銀行卍卍卍卍卍卍卍卍佐賀駅↑中中央央大大通通りり県県庁庁前前通通りり土橋(中央橋)十八跡住友跡福岡跡玉屋勧銀↓みずほ農工↓勧銀跡旧ニチユーバルーンミュージアム白山町ダイエー跡エスプラッツ肥前→百六→住友跡丸木屋→玉屋→ミヤコ跡中之小路不動→協和跡東魚町(中央本町)佐賀興銀→佐賀跡松原町松原神社旧映画館街佐嘉神社貫通道路元町三笠屋跡呉呉服服町町窓乃梅・寿屋跡キンタイ本陣跡南里跡旧唐津↓旧佐賀中央→旧佐賀百六跡旧古賀蓮池町柳町西肥跡裏十間川紺屋川街道筋荷上場し、しばらく空き店舗になっていたが、昭和8年(1933)、玉屋百貨店が買収して支店を構えた。百貨店としては佐世保、福岡に次ぐ3店目の出店だった。玉屋は文化3年(1806)、長崎街道で佐賀の次の宿駅だった牛津で創業した荒物店、田中丸商店を祖とする。街の賑わいが柳町から呉服町に移った背景には舟運の衰退があった。呉服町が最高地価となる20年前、明治24年(1891)8月に佐賀駅が開業。当時は九州鉄道の駅で現在地より200m南にあった。佐賀駅が開業した時点では路線の東端が門司駅(現在の門司港駅)で、博多駅を経由し、熊本駅が南端だった。佐賀駅は鳥栖から分岐した路線の西端だった。佐賀駅が現在地に移転したのは昭和51年(1976)である。移転と同時に高架化した。呉服町が銀行街だった時代もあった。まずは明治29年(1896)、裏十間川のたもとに佐賀貯蓄銀行が本店を構える。明治42年(1909)には不動貯金銀行が佐賀支店を開設した。東京に本店を構える大手銀行が佐賀に進出した初めての例だった。戦後は協和銀行となり、昭和56年(1981)に撤退した。大正6年(1917)、肥前銀行が呉服町に出店。後に本店となった。肥前銀行は大正13年(1924)9月に佐賀百六銀行に合併され、肥前銀行の本店行舎は佐賀百六銀行の本店となった。佐賀百六銀行の歴史は明治12年(1879)2月に設立された第百六国立銀行に遡る。国立銀行制度の満了に伴い明治31年(1898)4月から佐賀百六銀行になった。元々は佐賀城内堀の外側、佐嘉神社の東南角にあった。地元最古の銀行で市内大手行の1つだったが、昭和3年(1928)に住友銀行の傘下に入る。昭和16年(1941)9月に営業譲渡し、旧本店が住友銀行の支店となった。佐賀貯蓄銀行は大正13年に破たん。翌年8月、跡地に唐津銀行が行舎を新築して佐賀支店を構えた。唐津銀行は明治18年(1885)10月の設立で、昭和6年(1931)8月、同じく唐津を本拠とする西海商業銀行と合併して佐賀中央銀行となった。現在の地域一番行、佐賀銀行の前身行の1つである。昭和9年(1934)に⛩⛩⛩⛩⛩⛩
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