ファイナンス 2023年5月号 No.690
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国庫課外壁はじめに理財局国庫課への異動前に、妻と話した。「今度、国庫課で働くことになったよ。」「ふ~ん、かわいらしいところね。」「???」文中の意見に関する部分はすべて筆者個人の見解です。その後、よく考えてみると、財務省のことを何も知らない妻は「コッコ課」と理解したのではないだろうか。実は、国庫課にはニワトリもタマゴもない、農水省じゃあるまいし、ということはまだ伝えていない。(そのほか、調べたところによると、「こっこ」という静岡銘菓があるようだが、食べたことはない。もちろん国庫課にもない。)そういう誤解を受けることもあるが、実は国庫課は、財務省の礎(いしずえ)とも言うべき存在である。礎というか、基点というか、アンカーというか、いずれにせよ、その深奥に存在する結節点、というイメージである。先日、議員会館で、とあるOBの先生とすれ違ったとき、「今は国庫課で働いています。」「おお、そうか。財務省という組織を玉ねぎのように外側から剥いていくと、最後に残るのは国庫課だからな。頑張れ。」という励ましの言葉をいただいた。その礎たる所以は、英語名称を見れば一目瞭然である。Ministry of Finance(財務省)Financial Bureau (理財局)Treasury Division (国庫課)(「財務省の機構」より)Division1やDivision2では、何をしている課か、皆目分からないではないか。(主税局に他意はない。)国庫課はその外観からしても他課とは違っている。というか、財務省で唯一であると思うが、課の外側の壁に、歴代記念貨幣のパネルがペタペタと貼ってある。通りかかる外部の方が、熱心にご覧になっていることもあるが、ほとんどの方は素通りだ。国庫課の歴史国庫課は財務省で最も古い組織の1つである。歴史を繙いてみると、理財局よりも古く、1891年、主計局の中にその名が見られる。それ以前は、大蔵省誕生前の1868年に、国庫の出納事務を所掌する出納司、貨幣鋳造の事務を所掌する貨幣司が、それぞれ会計官(後の大蔵省)の下に設置されており、所掌に照らせば、これらが国庫課の祖と言える。その後1897年に、理財局の創設により主計局から理財局に移った。当時の大蔵省の機構は非常に簡素であり、日露戦争直前の1903年12月には1房3局で構成され、理財局に 16 ファイナンス 2023 May理財局国庫課長 坂口 和家男財務省の礎(いしずえ)  国庫課へようこそ

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