ファイナンス 2023年4月号 No.689
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角島大橋の眺望関■フェリー「はまゆう」●長州出島に接岸するクルーズ船(●印写真提供:下関市)下関 94 ファイナンス 2023 Apr.マーシャル等にもよく出ておりますし、映える写真が撮れるポイントとして観光客にも人気です。前述の川棚の温泉、瓦そばと角島大橋をセットで回れば、よいドライブコースになります。関釜連絡船の第1船、「壹岐丸」は、総トン数1,680トン、速力14.9ノットで、わが国初の大型連絡船として世にデビューしたそうです。関釜連絡船はその後も発展を続け、船も大きく、隻数も増えていきましたが、第2次世界大戦の戦火に晒され、大きな被害を受けました。戦後は、外地からの引揚げ輸送に活用されていましたが、韓国との国交が断絶していたことから、関釜連絡船は、一度姿を消すこととなりました。その後しばらくは、日本と韓国を往来する定期船が無い状況が続きましたが、日韓の国交正常化が進むにつれて、航路開設の機運が高まっていき、下関、釜山両市の度重なる折衝の結果、昭和45年6月に、我が国初の国際カーフェリーとして「フェリー関釜」が就航し、関釜連絡船の閉航から25年ぶりに下関と釜山を結ぶ定期航路が復活しました。復活した関釜フェリーも代替わりし、今は関釜フェリー株式会社の「はまゆう」と釜関フェリー株式会社の「星希(ソンヒ)」の2隻体制で、毎日、日本と韓国をつないでいます。終わりに 〜交流が生まれ、現在から未来へ幕末から明治維新を経て、明治38年(1905年)9月11日、日本の山陽線と韓国の京釜線の間をつなぐため、関釜連絡船が下関に誕生しました。現在は、下関と中国太倉港を結ぶRORO船「UTOPIA(ユートピア)」も就航しているほか、平成21年には、下関市の玄界灘側の沖合に国際物流拠点となる人工島「長州出島」が整備され、コロナ禍以前は長州出島にも大型クルーズ船が入港するなど、韓国との間で始まった国際交流は、さらに広がりを見せています。間もなく「コロナ禍」と言われる状況も落ち着いてくるのではと思うところ、今後も下関を起点とする国際交流が、未来に向けてさらに発展していくことでしょう。私たち下関税関支署も、当地における貿易・経済の発展の一助となるべく、地域に根ざした組織として役割をはたしてまいります。

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