巌流島の武蔵と小次郎の銅像高杉晋作の銅像桜山招魂場 中央に吉田松陰、その左右に高杉晋作と久坂玄瑞の霊標グルメと観光 92 ファイナンス 2023 Apr.〔幕末・明治維新〕〔グルメ〕17年(1612年)の春、下関沖合の舟島(舟島は巌流島の正式名、巌流島と呼ばれるようになったのは、小次郎の流派「巌流」から、そう呼ばれるようになったとのこと。)で、先に舟島に到着した小次郎は、遅参した武蔵に苛立ちを募らせ戦った結果、武蔵に敗れたというもので、これも数多の時代劇や、人気コミックのテーマにも取り上げられていることから、多くの方がご存じの内容でしょう。現在の巌流島は、下関や対岸の門司港からも観光船に乗って上陸することができ、現地には武蔵と小次郎の決闘をモチーフとした銅像があります。明治維新の中心地の一つである山口県の中でもここ下関は、「奇兵隊」を結成し、幕末期に活躍した高杉晋作に関係する史跡が多くあります。高杉晋作は、文久3年(1863年)6月、廻船問屋白石正一郎の後ろ盾を得て当地において奇兵隊を結成し、その後長州藩の藩論を討幕の方向に進めたほか、四境戦争(第2次長州征伐)においては奇兵隊を含む長州藩の諸隊を率い、幕府軍との戦いに勝利するなど、明治維新に向けて大きな功績をあげた人ですが、肺結核に倒れ、下関市内で療養生活を送るも、慶応3年(1867年)4月13日に27歳の若さで世を去りました。下関市内には、奇兵隊結成の地、晋作の療養の地や終焉の地などの史跡のほか、晋作の発議により国のために亡くなった人たちを祀る桜山招魂場があります。戦死した兵士を一人一人「神」として祀る「招魂場」の発想は、後に東京の靖国神社へと受け継がれていったとのことで、幕末に興味がある方は、訪れてみてはいかがでしょうか。歴史の話を一旦離れ、下関のグルメについても紹介させて頂きます。下関の鉄板グルメ、「ふぐ」の話は、これまでも多くの方が紹介されていますので、今回は「くじら」と「あんこう」を紹介させて頂きます。山口県では明治維新の前から近海捕鯨を行い鯨食文化があったところ、欧米諸国が日本近海でも近代捕鯨を始めたのを見て、日本にも近代捕鯨が導入され、下関を基地として捕鯨が発展したところですが、1986年に商業捕鯨が禁止されたことから、捕鯨産業に大きな痛手となりました。しかし、令和元年7月から商業捕鯨が再開され、その商業捕鯨を担う母船式捕鯨船団の基地が下関に置か
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