ファイナンス 2023年4月号 No.689
95/102

壇ノ浦(関門海峡)を望む源義経(左)と平知盛(右)の銅像 ファイナンス 2023 Apr. 91門司税関下関税関支署 総務課長田原 賢治〔壇ノ浦の戦い〕〔巌流島の決闘〕下関に所在する門司税関下関税関支署は、明治8年(1875年)に長崎税関下ノ関税関監吏出張所として設置されました。以来、147年の長きに渡り地域の税関行政を担い、地元の要請を受けて我が国初の365日通関を行う等、貿易の発展に貢献し、現在は宇部、萩両出張所を有し山口県の西部、下関市、萩市、長門市、宇部市、山口市、美祢市、山陽小野田市及び阿武郡の7市1郡を管轄しています。(税関管轄区域制定により、明治23年11月に神戸税関、明治32年4月に長崎税関の管轄になりました。)下関が歴史的に全国区となった最初の出来事は、やはり壇ノ浦の合戦でしょうか。一ノ谷の合戦、屋島の合戦と、立て続けに源氏に敗れた平家は、長門国彦島(彦島は下関市の一部です。)に拠点を置いて再起を図っていたところ、寿永4年(1185年)3月24日に源義経率いる源氏の平家追討軍が迫り、長門国赤間関の壇ノ浦で合戦となりました。主戦場は現在の本州と九州を繋ぐ「関門橋」東側の海域で、合戦の推移は多くの時代劇でも取り上げらはじめに下関は、本州の最西端に位置し、海を挟んで真正面に九州の玄関口である福岡県北九州市があり、関門橋や関門トンネル(国道、人道、在来線及び新幹線)等、本州と九州を結ぶ交通網が集中しているほか、下関と北九州市を隔てる関門海峡は、国内物流はもとより、京阪神地区から中国や韓国に向かう海上交通の大動脈でもあり、古来、交通の要衝でありました。歴史れ、ご存じの方も多いと思いますが、合戦当初は潮に乗って、平家軍が源氏軍を押していたものの、やがて潮の流れが反転し、潮にのった源氏軍が次第に平家軍を圧倒し、平家が滅亡した戦いでした。義経の八艘飛び、二位尼と安徳天皇の入水など、数々のエピソードがありますが、現在の関門海峡は、一日に何百隻もの船舶が往来する海上交通の要衝で、ひっきりなしに船舶が往来する風景から当時をしのぶことは難しい状況ですが、周辺には安徳天皇を祀る赤間神宮、平家一門を祀る七盛塚、耳なし芳一の芳一堂など、関連する史跡も残っています。巌流島の決闘と聞いて、多くの方は宮本武蔵と佐々木小次郎、プロレスファンの方はアントニオ猪木とマサ斎藤を思い浮かべると思いますが、その巌流島がどこにあるのか?これは案外知らない方が多いのではと思いますが、巌流島は下関にあります。表題を歴史としているところ、プロレスの話はさておき、武蔵と小次郎について述べさせて頂きます。武蔵と小次郎の巌流島の決闘については、資料が乏しく諸説あるようですが、一般的なところでは、慶長歴史に根差した 国際交流の街 下関下関

元のページ  ../index.html#95

このブックを見る