ファイナンス 2023 Apr. 71プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。近著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)最大の要因が平成26年(2014)12月にオープンしたイオンモール岡山である(図4)。地上8階、地下2階の都市型モールで、それまでは主に郊外に出店していたイオンモールにとって初めての駅前立地だった。商業施設面積92,000m2の巨艦店で市街図(図1)のシルエットからもその大きさが見て取れる。一時代を築いたダイエー、ビブレ、OPAは既になく、駅前の顔触れが変わった。人の流れもイオンモールに吸引される形で大きく変わった。それまでも駅前が一大商業集積地だったが、その傾向が一層強まった。折からの郊外化とあいまって下之町を中心とする表町の商業集積は劣勢を余儀なくされる。アーケードの南側や西大寺町はシャッターを閉めたままの店も増えてきた。ハイクラス需要はともかく若者やファミリー層の流出が目立ち、昨年(令和4年)は天満屋向かいの岡山LロッツOTSが閉店した。昭和44年(1969)に開店したイズミ岡山店が前身で、昭和50年(1975)の移転に伴いファッションビルのfフィッツitzになった。平成12年(2000)に天満屋が出資しロッツとなっていた。人と緑の都心1kmスクエア構想他方で再生の兆しもある。その基盤となるのが居住人口の増加だ。中心市街地「重点エリア」の人口は、平成12年(2000)を底に増加に転じ、令和2年10月で29,204人となった。マンション住民を中心に20年で4割増えたことになる。新旧の住民が「住まう街」として再生が進んだ。歩いて楽しい街として着眼されたのは街路だ。まずは冒頭紹介した西川緑道公園が縦軸となる。これに交差する横軸が「ハレまち通り」だ。令和4年3月、県庁通りのうち市役所筋から柳川筋までの約600mの区間につけられた愛称である。元々2車線だったが社会実験を経て1車線に減幅され、代わりに歩道が拡がった。駅前のイオンモールとクレド岡山を玄関口とする表町エリアを結ぶ導線の意味を持つ。表町は南北1kmのアーケードの南端に拠点施設を構え、南北の両端に集客装置を置く布陣とした。北は平成3年(1991)に竣工した再開発ビル「岡山シンフォニービル」である。ここには2,000席の大ホールを擁する岡山シンフォニーホールがある。南の再開発ビルが「ハレミライ千日前」である。ホール棟と高層棟が並びその間は大屋根で覆われた千日前スクエアで繋がれる。市民会館の後継となるホールは岡山芸術創造劇場「ハレノワ」といい、1,753席を備えた「大劇場」の他3つの劇場を擁する。シンフォニーホールがクラシックコンサートに強みを持つのに対し、ハレノワは舞台芸術やミュージカルでの活用が想定されている。今年2月に竣工済みで9月にグランドオープンの予定だ。20階建の高層棟は7階までオフィス床、8階以上が分譲マンションとなる。岡山のまちづくりの原点に立ち返ると、平成7年(1995)に岡山商工会議所が出版した「人と緑の都心1kmスクエア構想」に行き着く。桃太郎大通り、市役所筋、城下筋、岡山児島線に囲まれた地域を1km四方の正方形に見立て、4つの角に拠点を設け賑わいの核とするとともに、この内側の居住機能を充実させる構想だ。その後何度か提言が出され直近は令和3年の『日本一住みたい「ウェルビーイングな都ま市ち」おかやまへ』だが、1kmスクエアの基本は一貫している。地元百貨店がまちづくりに一役買っていることも目を見張る。天満屋はアーケード商店街の空き店舗を自店に組み込み、百貨店の別館として再生するなど賑わいの維持に尽力している。令和4年3月時点の岡山市の大規模小売店舗一覧表をみると、店舗面積ベースで天満屋グループが約半分。店舗面積の上位10店のうち、5位と9位に天満屋グループのGMSのハピータウンがある。郊外大型店の進出が地方百貨店の経営に影響を及ぼすケースが多々見られるが、天満屋の場合は早い時期から郊外大型店への多角化を進めてきた。平成30年(2018)、かつて川湊だった京橋のたもとに舟運が復活した。運航会社の岡山京橋クルーズは天満屋と岡山市表町商店街連盟の共同出資で設立したものだ。瀬戸内国際芸術祭の開催期間には定期便を周航して話題となった。50余年ぶりに京橋港が復活した形だ。岡山城を求心点とした舟運と街道の時代の街の風景が、水辺と街路の再建とともに蘇りつつある。
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