ファイナンス 2023年4月号 No.689
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医の中の蛙 里見清一連載271「不人気な金の番人」ファイナンス 2023 Apr. 3それにしても「税金払ってるんだから」というのは良い台詞ではない。私らもよく患者に、「俺は医療費を払っている。お前らはそれで食ってるんだろう」と言われるが、これは保険医療制度からしても間違っているし、口に出されて非常に嫌な言葉である。聞くところによると、「金を払ってるんだから」と言う客が、風俗嬢に最も嫌われるそうだ。極右から極左まで私は無駄を省いて医療費を削減しようと研究を進めているが、なかなか医者仲間からの理解を得るのが難しい。例えば、同じ病気を治療するのに、同系統で複数の薬剤が存在する場合も多い。その「使い分け」は、という話になるが、薬の効き方(作用機序)が同じであれば、効果も副作用も似たようなものになる。なのに薬の値段だけは倍半分以上違う、なんてこともしばしばである。そんなの安い方を使えばいい、効果も副作用も同じで値段だけ高い薬を使うのは無駄だ、と考えるのが普通のはずだが、なぜかそうはならない。日本では高額療養費制度というのがあって、一定以上の高額治療を行う場合、上限を超える部分は自己負担から免除され、公費等の負担となる。癌治療などは「安い方」の薬でも十分コストが高く、この制度の対象になるので、「高い方」の薬で値段が倍しようが三倍しようが、患者負担は同じになる。そしてどちらかというと、高い薬を使う方が病院の収益が増すことが多い。そうすると、苦労して「無駄を省く」努力をしても、患者のためにも病院のためにもならない、という話になる。では「誰のため」かというと、私は保険医療制度の持続可能性のため、すなわち「次の世代のため」と主張するのだが、これがなかなかピンとこないらしい。保険財政や国家財政の健全化なんて言葉を出すと、財務省の台詞と同じだと思われ、途端に拒否反応を示される。日本の常識として「財務省は悪い奴」なのである。ある同僚からは「君の意図はわかるが、財務省に利用されてしまわないかと心配だ」と忠告された。かくのごとく財務省は世間からバッシングされている。私は以前から『木っ端役人』なんて不適切用語を頻繁に使うくらいで、基本的には「お役人」と性が合わないが、それでも最近の財務省非難は異常だと思う。何につけてもよからぬことは全て「財務省の陰謀だ」で片付けられる。古代ローマの政治家大カトーはカルタゴ嫌いで知られ、カルタゴと全然関係のない議題でも、どんな演説をする際にも必ず「カルタゴ滅ぼさざるべからず」という一句で締めたというが、それと似ている。アメリカではトランプ支持派が、「ディープ・ステート」なる影の組織が国家を操っている、なんて三流映画みたいな話を真面目に信じているそうだが、それと同じレベルの陰謀論に聞こえる。アメリカではトランプ派と反トランプ派は分断されていて、日本も最近はいろいろな「分断」が目立つようだが、我が国では極右から極左まで、財務省の悪口だけは誰もが競って口にする。どこから調達する財務省は人気がないだけではなく、世の中から信用もされていないらしい。財務次官だった矢野さんという方が選挙前の各政党政策論争を「バラマキ合戦」と批判し、国家財政破綻の可能性について「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」という表現まで使って警鐘を鳴らしたが、政治家さんたちに響くどころか、市場も反応しなかった。金を握っているはずの財務省事務方トップが「日本には金がない、破綻する」と明言しているのに株式市場も国債市場も円相場もパニックにならないとは、考えてみれば変な話である。ここまで悪く言われると、若い人が官僚になりたがらなくなるのも当然で、かつての「東大法学部から大蔵省」の立身出世コースも変わりつつある。数年前に、東大入試では、文一(法学部)よりも文二(経済学部)の方が合格平均点も最低点も上回った。今や最上位の受験秀才の典型コースは、経済学部を出て外資系コンサルティング会社に勤めて高給を得ることらしい。安月給で夜中までハードワークをこなし、その上「国民の敵」扱いを受ける「高級」官僚を、目端の利く若者が目指し続けるはずはない。「国家の運営」にやりがいがあるとしても、彼らだって霞を食っては生きていけないのである。だが「ベスト・アンド・ブライテスト」が霞が関から外資系コンサルティング会社に大挙して移って、国家がやっていけるのだろうか。こっちが欲しい金を出してくれず、一方で税金をふんだくる財みつぎとり務省のことを、我々がよく思わないのは当然ではあろうが、考えてみれば財務省の役人は、歳入を増やし歳出をカットして国債発行を減らしたところで、特別ボーナスがもらえるわけではなかろう。「奴らは増税を目論んでいる」とか非難されるが、社会保障費は際限なく増大し、巨大災害対策費を捻出し、防衛予算を倍にしよう、なんてことについては誰も反対せず、歳出がどんどん増えているのだ。おまけにこのパンデミックである。オミクロン株になってウィルスは弱毒化したが、相変わらず「この病気だけ」の特別扱いは続いている。「咳や鼻水などの症状を、8日間から7日間に短縮する」という「画期的な薬」ゾコーバがなぜか緊急承認された。4日目の時点でプラセボに比べてウィルスを30分の1に減らすそうだが、それが感染の拡大防止に役立つのか、また後遺症を防げるのか、データはない。今のデータだけからでは、私には「大して効かない風邪薬」程度としか思えないが、相当な薬価がつき、シオノギは年間売上1000億円を超す大型薬(ブロックバスター)になると期待しているそうだ。今のところ全額公費負担であり、皆気前よく使ってくれるだろう。週刊新潮も「本人負担はないから安心せよ」と提灯記事を書いていた。それなのに誰も「どこからその金を調達するか」を言ってくれない。財務省の「仕事」として、増税を考えるのは当然ではないだろうか。それに代わって人々が口にするのは「景気が良くなれば」なんてことばかりだが、どうやったって景気が良くならないから金が足りないのではないか。それができない政治家や、まともな政策を提言できない評論家たちが「財務省が悪い」と譏るのは本末転倒だろうと思う。個人と同じく、国家も霞を食っては生きていけない。どうしてそんなことが分からないのかと、財務省のお役人たちはさぞ歯噛みしているだろうと推察する。私は彼らが全て正しいとは思わない。だが彼らに「一理」もないはずがなかろう。ウクライナ問題においてすら、「ロシアの立場になって考えるべきだ」という擁護論があるではないか。週刊新潮(2020年6月4日号)掲載週刊新潮(2023年1月19日号)掲載

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