ファイナンス 2023年4月号 No.689
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プロフィール國頭 英夫1961年鳥取県米子市生まれ日本赤十字社医療センター化学療法科部長1986年東京大学医学部卒業。大学病院内科および都立病院救命救急センターなどでの研修を経て、1990年から呼吸器内科・肺癌診療に従事。2001年東大医学博士。国立がんセンター中央病院内科、三井記念病院呼吸器内科を経て、現職。2003年・2019年テレビドラマ「白い巨塔」のアドバイザリーも務める。著書は、『見送ル ある臨床医の告白』(2013年・新潮社)、『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』(2016年・医学書院)など多数。最新作は『「人生百年」という不幸』(2020年・新潮新書)。新潮社の書籍:「新潮社ホームページ」 https://www.shinchosha.co.jp医の中の蛙 里見清一連載142「非常時の思考回路」(連載142回「非常時の思考回路」、連載271回「不人気な金の番人」)の転載を許可していただいたので、以下紹介したいと思います。「その後」がどうなるかかねてより医療経済や財政についてのご関心が高く、ペンネーム『里見清一』で週刊新潮に連載中のコラム『医の中の蛙』の中から、今号では特別に2つ武漢肺炎が猖獗を極めている現在は「非常時」もしくは「戦時」であり、欧米では「第三次世界大戦」と同様の事態と考えられている。いつかご紹介した、人工呼吸器などの医療資源をいかに配分するかにあたって、「患者が医療従事者である場合は優先する」という方針は、戦争中に「戦闘機パイロットが優先」であったのと同じである。最も被害が大きいアメリカでは、流行拡大の当初にトランプ大統領の認識の甘さが対応の遅れを招いて感染の爆発的増加を招いたのだが、今やそのトランプは「戦時大統領」としてのイメージ戦略をとり、自身の初動ミスを誤魔化して、秋の大統領選挙に向けリーダーシップを強調している。東京都の小池知事がやたらと前面に出て、政府の動きよりも速く「方針」を次々と打ち出しているのも全く同様である。オリンピック延期決定の前にもっと対策を立てておけば良かったのだが、そんなことは噯にもださず「果断」の連続である。東京都知事選も今年ある。さてこの非常時を乗り切ることが最優先なのはもちろんだが、こういう時にはえてして「後先のこと」を考える人間が白眼視される。日米戦争の時に対米講和だの戦後処理をどうするか、なんて話はうっかりできなかった。そんなのを聞かれたら憲兵が飛んできて「非国民」としょっ引かれた。だからといって全く「その後」の準備ができていないと困るだろう。戦争に負けても、文字通り一億玉砕ではなく、みんなその先も生きていく。だから国中が全身全霊を挙げてドンパチやっている最中でも、誰かが戦争を止める方法を考え、戦後のことを検討しているのが国家組織の正しいあり方である。同様に、平和の時も誰かが戦争のことを考えていないと「(脳内)お花畑」と言われてしまう。現在、この非常時の「その後」を考えているのは、たとえば財務省であろう。市民活動の制限による経済の大打撃に対して、休業補償だの消費税減税だの一人一律10万円給付だの各世帯マスク2枚配布だのという椀飯振舞(最後はちょっと違うか)が取沙汰されるが、いつも必ず「財務省が反対する」という話になる。だが財務省にすれば、1100兆円の借金を抱える財政を担っているのだから、そんなに金を使って「その後」がどうなるかを考えるのは当然だろう。これをケチだのなんだのと罵倒するのは、昔の憲兵と同じ思考回路ではないか。というわけで、もちろん一番大変なのはこの「非常時」において収入が絶たれ、路頭に迷う人たちなのだが、それを承知の上で、あえて以下、人から嫌われる議論を立てることにする。あの時死んでいた方がだいたい、非常時の思考回路は単純で、ある意味気楽である。「今はこれをやらねばならない」というのが、いつの間にか「それをやっていればいい」となる。この変換は意図的にされることもあり、「家にいろ」だと反発されるが、「家にいればいい」「家にいるだけでヒーローだ」と言われれば守りやすい。そして往々にして「それを(ただ)やっていればいい」となると、思考停止に陥る。誰かさんの「自宅で寛ぐ」お気楽動画は好例である。重症患者を治療している際の研修医は、肉体的にはキツくても、面倒なことを考えずに「これをやっていればいい」、気楽な立場にある。救命救急の現場でも、心臓マッサージや気管内挿管そのほかの蘇生処置を、実に生き生きとやっている。その後ろで指導医は、この患者が助かったとして、意識は回復するか、リハビリは、社会復帰は、などと「その後」のことを考えねばならず、実に頭が痛い。場合によっては植物状態になり、家族からも見捨てられ、「あの時死んでいた方がマシだった」なんて話になる可能性があるのを、指導医は知っているのだ。どちらかというと私はそういう「後先のこと」を他人よりも早く考えすぎて、治療にブレーキをかけるきらいが、ないとはいえない。この傾向があるせいか、私は世間の人よりも財務省にシンパシーをもつ。大変だろうな、と同情してしまうのである。ちょっと前に、MMT(現代貨幣理論)という、自前の通貨を発行する限り財政破綻は心配しなくていい、という話が出た。今はMMTなんて理屈すら要らないからカネをばらまけの大合唱になっている。ドイツも大規模な財政出動を打ち出しているが、ドイツはもともと基本法(憲法)によって政府の財政収支を均衡させる、つまり「借金をしない」ことが決まっていた。だから財政面からすると、普段は酒を節制している人が月に一度やけ酒する(ドイツ)のと、毎晩呑んだくれている人が今日くらいパーッと飲ませろと喚く(日本)くらいの違いがあるらしい。だがしかし、今は「そんなこと言ってられるか」が支配的である。それが理性的判断に裏打ちされていればいいが、大衆心理と化していないかを私は恐れる。そういう大衆心理もしくは「時代の空気」に太刀打ちできるのはリーダーシップしかないはずだが、どうもそれを期待するのは無理そうなので、二重に心配をしてしまう。これが「大衆心理」になってはいないかという根拠の一つは、たとえば「我々は税金を払っているのだから、ケチケチするな」式の財務省批判である。この「税金」の払いが少ないから財務省は赤字で苦しんでいる。それを国賊呼ばわりして、どこかから金が湧いてくるなら、私もそうするが、そうではあるまい。財務省は借金(国債)に借金を重ねて財政出動する。そこが気前良くなったらおかしいだろう。どうせなら「税金払ってるんだから」ではなくて、「後でがんばって金稼いで税金払う(から、今は助けてくれ)」の方が正しくて、かつ気持ちも良いではないか。落語「芝浜」で魚屋の勝は、「明日から商売に出るから今晩だけは飲ませてくれ」と女房に頼み込み、(渋々ながらも)翌朝早く、魚河岸に出かけていった。 2 ファイナンス 2023 Apr.

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