私は肺癌治療が専門ですが、医学系出版社か ファイナンス 2023 Apr. 1日本赤十字社医療センター化学療法科部長國頭 英夫らは、生物統計学やコミュニケーション論に関する本を出してきました。いわば「素人芸」ですが、それは必須の「芸」なのです。医者が患者さんを診るにあたって、いくつか「必修科目」があります。一つは生物統計(科学的推論)で、我々の医療行為の根拠となるデータは科学的に適切なのか、を知らずして正しい診療は不可能です。例えば3年前にパンデミックが発生した時に、「アビガン」という薬について、有効性を示すまともなデータはないのに、「どこかの誰かが飲んで、効いたそうだ」なんて噂話レベルを基に、日本中が「早期承認すべし」の大合唱でした。今やあの薬は話題にもなりません。また、癌に限らず、患者さんは一定の割合で必ず亡くなります。私は、自らが治療した患者さんの人生の終わりを見届け、不要な苦痛がないように取り計らうのは当然の義務だと考えています。その際、患者さんやご家族と「話」ができないと、それこそ話になりません。ですからコミュニケーションもまた「必修科目」です。このような「必修科目」を、現代の医療は「専門科目」にしてしまって、一般の医者は「自分たちの仕事ではない」と「専門家」に丸投げしているのではないか、というのが私の抱く危機意識です。その結果、医学は、もしくは医療はどんどん断片化して、我々は人間を相手にするのではなくデータの切れっ端と悪戦苦闘しているようです。そして私は今年、次なる「素人芸」として、医療経済に関する著書を出します。これこそ、臨床医が「自分たちには関係ない;専門家に任せておくべきだ」と、ずっと忌避していた領域です。確かに、薬の値段は指数関数的に高くなっても、高額療養費制度によって、患者さんの負担は変わりません。ならば我々は、今までと同じように、眼前の患者にだけ注目し、「命は地球よりも重い」のだから、「金の話なんて、卑しいことは言うな」ですませていればいいのでしょうか?私にはどうしてもそうとは思えません。我々が今、その費用を負担していないとすれば、いずれいつかどこかで誰かが(間違いなく我々の子や孫が)、必ずそのツケを払うのです。まさか皆さん、「借金はいずれどこかに消えてくれる」などとお考えではないはずです。パンデミックの初期、当時のトランプ米大統領は「暖かくなればウィルスは奇跡的に消え去る」と主張していましたが、その後「パニックを起こしたくないから、事態を軽く見せたかった」と告白しています。我々も同様に現実から目を背けて希望的観測のみを語るのでしょうか。一般社会では「お金のこと」を考えられず、ただひたすら使いまくる人間は、阿呆とみなされます。どうして我々医者だけがその例外でいられるのでしょう。我々は、金のことを考え、それを心配し、無駄を削らなければなりません。この「無駄」とは、国会議員の数を減らせなんて「他人の無駄」ではなく、我々自身の無駄です。そのためにも、何が無駄で何が必要かを知らねばなりません。「全部必要だ、みんな欲しい」なんて駄々っ子のようなことを言っている場合ではないのです。私は科学的推論や対人コミュニケーション学、そして「カネの話」を、専門外の「素人芸」ながら自分のために勉強してきました。これらは我々みんなが知り、考えるべき「必修科目」だと思うからです。そしてこの「我々」とは、医者に限定されるものでもなさそうです。我々の「必修科目」
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