ファイナンス 2023年3月号 No.688
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三越跡旧住友旧勧銀湊川神社西町市役所フラワーロード東遊園地京町筋そごう跡高速神戸線(’68~)元町(地下線)ドンク本店西館第3グレースビル大丸旧横浜正金幕府海軍操練所跡税関旧阪神センタープラザさんプラザ第2第4第1防災ビル第5神戸阪急(旧そごう)ダイエー村跡プロメナ神戸(旧オーガスタプラザ)旧神戸西武(旧ダイエー&神戸阪急)三ノ宮ファイナンス 2023 Mar. 73図2 市街図 ハーバーランド旧神戸駅(湊川駅)市役所跡神戸旧三菱umie神戸煉瓦倉庫旧第一ポートタワーモザイクメリケンパーク旧日本郵船倉庫旧信号所拓銀跡明治後期の波止場元町通栄町通海岸通旧三井38跡南京町山口→三和跡旧郵船ビルメリケン波止場跡生田中大丸跡横浜正金跡3丁目2丁目1丁目元町(旧三ノ宮)旧安田三井住友川崎→三井跡(旧岡島→神戸)旧居留地(出所)筆者作成あった。明治9年(1876)、栄町通に移転し三井銀行となった。大正5年(1916)、銀行街のランドマークにふさわしくイオニア式の柱頭を持つ重厚な行舎を建てた。日銀本支店を多く手掛けた長野宇う平へい治じの設計だ。戦後は第一勧業銀行が長く使用していたが阪神大震災で倒壊。今は柱頭のイメージを下層ファザードに残した高層マンションになっている。明治6年(1873)、わが国初の国立銀行である第一国立が本店と同時に神戸支店を開設した。栄町通4丁目に移転したのは営業満期に伴い第一銀行に改称した明治29年(1896)である。明治41年(1908)に赤レンガ行舎を新築。東京駅と同じ辰野金吾の設計である。銀行自体は戦中に移転し、建物は銀行として使われなくなる。その後阪神大震災で被災したが、地下鉄みなと元町駅に外壁が復元された(図1)。貿易金融といえば外国為替専門銀行の横浜正金銀行が創業翌年の明治13年(1880)、栄町通3丁目に神戸支店を出した。今の神戸市立博物館の建物に移転したのは昭和10年(1935)の話だ。栄町通には安田銀行、住友銀行など多くの銀行が支店を出した。残っていれば観光資源になったであろう名建築もあったが、その多くは阪神大震災で被災してしまった。ちなみに、再編統合を経て現在の三井住友銀行に至るが、昭和初期の一県一行主義に基づく地元銀行は神戸銀行である。昭和11年(1936)、県内7つの地域銀行が合併して発足した。前身7行は神戸岡崎銀行(本店:神戸市)、三十八銀行(姫路市)、第五十六銀行(明石市)、西宮銀行(西宮市)、灘商業銀行(御影町=現在の神戸市東灘区)、姫路銀行(姫路市)、高砂銀行(高砂市)である。合併行の経営の主軸は神戸岡崎銀行と三十八銀行だった。神戸岡崎銀行は大正6年(1917)の設立で、その本店が7行統合後に神戸銀行の本店になった。現在は三井住友銀行神戸本部だが、建物は太陽神戸銀行の時代に本店として建てたものだ。三十八銀行は店舗網や預金、貸出金において合併当時の県内最大手だった。前身は第三十八国立銀行で明治11年(1878)の開業。翌年には神戸支店を出している。最初は元町通にあったが、明治16年(1883)に栄町通3丁目に移転した。神戸支店は兵庫県金庫と神戸市金庫を受託していた。今でいう指定金融機関である。三十八銀行は姫路と神戸を営業エリアとしていたが、他の前身行は本店が属する比較的狭いエリアを地盤としていた。現代にたとえれば、県域上位行どうしの合併というよりむしろ地域に根を張る信用金庫が広域合併するような統合パターンだった。もっとも戦後の神戸銀行は支店網を全国に展開し、長じて都市銀行の一角を占めるようになる。百貨店の源流が集まった元町通明治32年(1899)、外国人居留地の施政権が返還される。大正時代にわが国の銀行や商社が旧居留地に拠点を構えるようになり、神戸のオフィス街は東側に拡大した。それにつれ中心軸も東に移っていく。最高地価

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