ファイナンス 2023年3月号 No.688
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[19]. Frederic, Mishkin., Stanley, Eakins(2012)「Financial [11]. 服部孝洋(2023b)「システム上重要な銀行入門」『ファイナ *49) ここでの記載は下記を出所としています。 *50) 第二日本承継銀行はイオンコミュニティ銀行に変更され、その後、イオン銀行に合併されました。詳細は、日本経済新聞(2012/3/30)「イオン銀と5おわりに本稿では預金保険の仕組みに加え、我が国における金融機関の破綻処理制度における「預金等定額保護」金融機関の破綻処理制度及び預金保険入門 *48) 会計検査院は、「仮基準日における債務者10,632先の半数を超える5,610先の債務者に係る債務者区分が正常先から要注意先以下又は要注意先から破綻懸念先以下の区分に修正されたことなどにより、127億余円の貸倒引当金を計上する必要が生じ、純資産額が減少して大幅な債務超過となる見込みとなった。このため、第二日本承継銀行は、銀行法(昭和56年法律第59号)等において業務を継続する前提とされている自己資本比率4%を維持するためには、88億円の資本追加が必要であるとし、預金保険機構に対して追加出資の要請を行った」と整理しています。https://report.jbaudit.go.jp/org/h24/2012-h24-1037-0.htm*51) 日本経済新聞(2010/09/13)「振興銀、払い戻し開始、預金名寄せ終了、1000万円超は3423人」を参照。*52) 日本経済新聞(2017/5/23)「初のペイオフが終結、振興銀、保護対象外4割カット」https://report.jbaudit.go.jp/org/h24/2012-h24-1037-0.htmイオンコミュニティ銀の合併を認可」を参照してください。参考文献[1]. 池尾和人(1995)「金融産業への警告―金融システム再構築のために」東洋経済新報社[2]. 池尾和人(2003)「銀行はなぜ変われないのか―日本経済の隘路」中央公論新社[3]. 池尾和人(2009)「不良債権と金融危機」慶應義塾大学出版会[4]. 池尾和人(2010)「現代の金融入門[新版]」筑摩書房[5]. 遠藤伸子・志賀勝・村松教隆・菅野昌彦・吉岡あゆみ・近内京太・今野雅司・増田薫則・亀田純一・佐藤耐治(2013)「日本振興銀行の破綻処理−預金者保護を中心として−」『預金保険研究』第十五号[6]. 木下智博(2018)「金融危機と対峙する『最後の貸し手』中央銀行:破綻処理を促す新たな発動原則の提言:バジョットを超えて」勁草書房[7]. 服部孝洋(2022a)「米国MMF(マネー・マーケット・ファンド)入門−ホールセール・ファンディングと金融危機以降の規制改革について−」『ファイナンス』4月号、28−37.[8]. 服部孝洋(2022b)「フェデラル・ファンド(FF)市場およびFFレート(FF金利)入門−金融危機以降のFF市場および「最後の貸し手」機能の変遷について−」『ファイナンス』、10−20.[9]. 服部孝洋(2022c)「バーゼル規制入門―自己資本比率規制を中心に―」『ファイナンス』、28−39.[10]. 服部孝洋(2023a)「資本保全バッファー(CCB)およびカウンターシクリカル・バッファー(CCyB)入門―バーゼル規制における資本バッファーを通じた「プロシクリカリティ」の緩和について―」『ファイナンス』、29−40.ンス』、40−51.[12]. 氷見野良三(2005)「検証 BIS規制と日本」金融財政事情研究会[13]. 中曽宏(2022)「最後の防衛線 危機と日本銀行」日経BP[14]. 前田裕之(2015)「ドキュメント 銀行 金融再編の20年史─1995-2015」ディスカヴァー・トゥエンティワン[15]. 柳澤伯夫(2021)「平成金融危機 初代金融再生委員長の回顧」日本経済新聞出版[16]. ジョン・アーマー, ダン・オーレイ, ポール・デイヴィス, ルカ・エンリケス, ジェフリー・ゴードン, コリン・メイヤー, ジェニファー・ペイン(2020)「金融規制の原則」きんざい[17]. ベン・バーナンキ(2012)「連邦準備制度と金融危機:バーナンキFRB 理事会議長による大学生向け講義録」一灯舎[18]. ベン・バーナンキ(2015)「危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録」角川書店Markets and Institutions」Prentice Hall 60 ファイナンス 2023 Mar.しています*48。預金保険機構は第二承継銀行を譲渡する対価として19億8,000万円を受ける一方、多額な贈与や出資していることを考えると、承継する資産の選定や、それを譲渡するプロセスは非常に困難であり、金融機関の破綻処理は、預金保険機構にとってもリスクが少なくないことが分かります。前述のとおり、最終的に第二日本承継銀行がイオン銀行に譲渡されたわけですが、譲渡においては入札の形式が取られています。まず、応募は7社あった中、書類審査で4社に絞り、事業計画書の提出を求めます*49。事業計画書の提出があった2社に対して、第二日本承継銀行の資産内容を同社に開示し、企業評価を行ったうえで、事業計画書の再提出を求めました。前述のとおり、最終的には2011年12月にイオン銀行に19億8000万円で譲渡されることになりました*50。第二承継銀行は2012年12月に経営管理を終了しており、管理を命ずる処分の日から「2年(1年の延長可)」という法律上の期限が遵守されています。日本振興銀行のケースは、初めてペイオフが発動されたケースとして注目を受けましたが、最終的な弁済率について確認します。預金等定額保護では、前述の通り、預金保険機構の管理下に置かれた後、週末にかけて預金を支払い戻すための「名寄せ」が行われ、週明けには、ペイオフで保護される預金について払い戻しの受付が開始します*51。預金額が1,000万超の預金については一時的に凍結され、上述のプロセスで債権回収がされた後に弁済の原資が生まれます。日本振興銀行のケースでは、預金者への弁済率という点については、まず2010年12月に、1,000万円超の預金者に対して25%の仮払いをした後、2014年9月に第2回目の弁済をし、最終的に約61%の弁済をしています*52。について取り上げました。次回は預金保険法102条スキーム及びその事例について取り上げます。

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