ファイナンス 2023年2月号 No.687
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税関跡元町教会旧相馬邸東濱町末広町旧支庁十字街銀座通り図2 市街図(出所)筆者作成ファイナンス 2023 Feb. 63基坂日和坂旧金森旧金森八幡坂旧113旧拓銀旧安田大三坂二十間坂59跡旧丸井今井三井跡旧日銀桟橋跡旧第一旧貯蓄金森赤レンガ倉庫20跡旧日本郵船倉庫拓銀跡旧郵便局水産物卸売市場函館国際ホテル(ニチロ本社跡)12跡函館市電萩野呉服店跡朝市北洋和光跡旧棒二森屋 た同じく地元行の函館銀行の本店が置かれた場所でもある。函館銀行は大正11年(1922)に百十三銀行に合併される。百十三銀行からみれば、合併相手の元本店の場所に合併行の本店を建てたかたちだ。百十三銀行は本店新築後まもなく金融恐慌に巻き込まれ、昭和3年(1928)に北海道拓殖銀行の前身行の北海道銀行(現在の北海道銀行とは別)に統合される。そして昭和19年(1944)には北海道拓殖銀行(以下「拓銀」)となる。これ以降、建物は拓銀函館支店となった。拓銀は明治38(1905)の進出で函館支店は別の場所にあったが、統合を機に旧百十三銀行本店に移ってきた。旧百十三銀行本店の交差点筋向いの近代建築は大正15年築の旧函館貯蓄銀行である。既に述べた通り、百十三銀行の元の本店があった場所である。百十三銀行が本店を新築した年に函館貯蓄銀行の本店を建てた。その向かいの建物が昭和7年(1932)築の旧安田銀行である。函館にはわが国3番目の国立銀行である第三国立銀行が明治20年(1887)に進出していた。元々安田銀行系列だったが、大正12年(1923)に統合して安田銀行となった。戦後は富士銀行に改称。再編を経てみずほ銀行に至る。昭和43年(1968)に駅前に移転した後、建物はホテルに改装された。途中で経営者は変わったが現在までホテル営業を続けている。同じ並びにある函館市文学館は元は大正10年(1921)に第一銀行函館支店として建てられたものだ。元からあったのは東京が本店の第二十国立銀行で、明治18年(1885)函館に支店を出した。大正元年(1912)に合併され第一銀行になる。第一銀行は昭和39年(1964)に駅前に移転。現在みずほ銀行になっている。函館には弘前が本店の五十九銀行、富山が本店の十二銀行もあった。五十九銀行は青森銀行の前身で大正4年(1915)の開店時には旧丸井今井百貨店の隣にあった。十二銀行は北陸銀行の前身である。北海道の昆布が富山を介して薩摩、琉球に流通していたエピソードを本連載の鹿児島の回で触れたが、北前船の交易ルートとして北陸地方と北海道のつながりがあった。このような縁で、十二銀行は明治32年(1899)の小樽支店を皮切りに北海道の各都市に支店を展開していた。函館は5番目で大正6年(1917)の開設。昭和2年(1927)築の建築だったが、一昨年取り壊された。十字街と函館3大百貨店国勢調査でいえば昭和10年(1935)に仙台市に抜かれるまで函館は東京以北で最大の都市だった。大正14年(1925)の第2回調査で函館市の人口は6大都市、広島市、長崎市に次ぐ9位だった。行政の中心は札幌だったが、全国展開する銀行の支店など地域拠点が函館に置かれるケースが多かった。山手のカトリック元町教会には明治24年(1891)から昭和11年(1936)まで地域ブロックを代表する司教座が置かれ明治期は東北・北海道すべてを管掌していた。

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