*3) フォーヴォによる議論に興味ある方は、Silvant(2010)を参照して下さい。 48 ファイナンス 2022 Dec.生じる効用の減少、つまり、犠牲=苦しみの量が、納税者全てに関して等しくなるように課税しようと考えます。その犠牲の量が所得に関して比例的になるべきという犠牲説が、コーヘン=スチュアートによる「均等比例犠牲説」です。なお、最も新しい犠牲説は(といっても100年以上前の議論ですが)、エッジワースが提唱した「最小犠牲説」です。そこでは、課税下での〈各個人の効用の総和〉が最大になるような税の負担が求められますが、一定の仮定の下では、その租税負担率は累進的になり、所得が低い者には給付が行われる可能性も示すことができます。つまり、犠牲説によって応能原則を導出することができる訳です。再分配政策による給付は事後的なものですが、課税と給付を一体として捉え、その再分配制度を「保険」として捉えることも可能です。つまり、再分配制度の便益とは、数々の社会リスクに対する保険として事前に「安心」を提供することだと見做せます。ここで租税は事前的な「保険料」、給付は安心を提供するための事後的な「反射」であると捉えられます。一部の経済学者は、事後救済としての再分配と事前の備えとしての保険を別物として考える傾向があります。また同様に、租税法や社会保障法の研究者も、保険と再分配を別物として考える方が多いように思えます。しかし、古くから租税は保険料に例えられてきました。時代的に再分配政策は考えられていませんが、良く知られているのは18世紀から19世紀にかけての「保護説」や「保険説」です。保護説はホッブスやスミスによる議論であり、公共部門を私的財産の守護者として捉えて、守護(による安心というサービス)の対価として納税するという考えです。先ほど言及したスミスの第一原則は、そこに「国家の保護の下で享受している収入」というフレーズがあるように、まさに保護説的な発想に基づいています。他方の保険説は、フランスのチューレによる議論に代表される学説です。そこでは国家を保険会社、国民を被保険者とみなし、税は被保険者が保険会社に支払う保険料と見做されています。Seligman(1908)は(保険説ではなく)保護説をプレミアムやリスクという言葉で説明していますが、そこから分かるように、保護説の本質は保険説と同じと考えてよいと思います。初期の保険説では、保険料(=税)の料率(=税率)は比例になると議論されていたようです。しかし、後に続く議論では、累進構造の可能性も示唆されています。19世紀のフランスにおける保険説の研究者であるグスタフ・フォーヴォは、租税の保険数理的分析によって保険料(租税)が累進的になることを示しました*3。そこでは、保護説的な国の治安サービスだけでなく、公教育、公共施設、学術振興などからのサービスも想定されています。より最近の経済理論を用いた分析でも、税と給付を一体的に保険として捉え、そこでの最適な保険料=税率構造を分析した研究があります。Varian(1980)の分析では、一般的に保険料(税)が累進になることはないが、一定の条件の下では累進構造をとると示されています。また、Strawczynski(1998)の研究は、税率(保険料)区分が2つしかない場合、上位区分の限界税率が下位区分の限界税率よりも大きくなる、つまり、税率が累進構造を持つことを示しています。課税と給付の制度全体を保険と見做す考え方は、ロールズが思考実験として提示した「原初状態(original position)」とも大きく関係します。原初状態における人々は「無知のベール(the veil of ignorance)」に覆われており、将来の社会にはどのような人々が存在するかは分かっていますが、自分がその人々のうち誰になるかが分かりません。この状態で将来の社会における再分配制度を設計すれば、自らの地位、資質、そして能力等に依らない、つまり、自分の既得権益を考慮できない〈公平な〉制度になる筈です。この無知のベール下での再分配制度の設計は、将来、自分が誰になっても安心できる「保険の設計」として捉えることができます。ロールズは、無知のベールの下で人々は、自分が一番困る状況(一番困った状態に陥る人)のみを考慮す4.2 「保険」としての再分配制度4.3 「保険料」の累進度4.4 無知のベールから犠牲説へ
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