令和4年度 上級管理セミナー ファイナンス 2022 Dec. 39自治体と指摘されております。この町に通潤酒造という江戸時代からの老舗酒造がありまして、12代目の山下泰雄さんという方がいらっしゃいます。この方は私と同じ1963年生まれで、三人きょうだいの長男です。大阪大学経済学部を卒業して日本興業銀行に就職しました。実家の通潤酒造は山奥の小さな酒造だったので、売り上げ1.5億円、借入金が2億円ある状態で赤字経営でした。経営は山下さんの祖父がやっていたのですが、孫が日本興業銀行に入ったことだし、自分の代で酒造を止めると言ったそうです。山下さんは自分が酒造を継ぐものだと思って育ってきたので、酒造を止めると言い出した祖父と喧嘩をして、その際に祖父は脳梗塞を起こしてしまい、その後亡くなります。これにショックを受けて、山下さんは銀行を辞めて家業に戻りますが、バブル絶頂期の1989年11月のことです。(イ)国際化・IT化・ブランド化を推進赤字の小さな酒造に戻ってきて泰雄さんがどうしたかというと、国際化・IT化・ブランド化を推進したのです。当時できたばかりの成田空港第二ターミナルにある免税店に、業者を通じて少し高めの純米吟醸酒を卸すようにしたのです。その結果、多い時には月4千本くらい売れて、非常にうまくいきました。同じ業者を通じて中国の航空会社の機内販売に採用され、韓国のホテルでも販売されるようになりました。売り上げは2.5億円まで伸び、そのうち3割が海外売上になったのです。でもうまくいっていると競合が増えてきます。また卸マージンが大きく、利益が少ないという問題がありました。そこで山下さんは消費者に直接販売しようと考えて、最初はカタログ通販、その後ネット通販を行うようになります。ネット通販を始めて地元出身の若い社員も雇いました。その若い社員が、山都町に縁ある名刀「蛍丸」がオンラインゲームの「刀剣乱舞」に登場していることを知ります。そして、彼の提案でこの名刀の名前を冠した「蛍丸」というお酒を造ることにしました。ご覧いただいているのがそのお酒の写真ですが、山都町に住んでいるデザイナーがデザインしたものです。ボトルにお酒をいれると刀に蛍が舞い飛んでいるように見えるデザインです。そういう商品を開発したところ、350mlの小さな瓶で1,500円と割高なのですが、若い世代から注文が殺到したのです。(ウ)酒造エンターテイメント業へ経営が持ち直したところで、2016年4月に熊本地震が発生し、山都町は震度6の地震を2回記録しました。通潤酒造の14棟ある蔵や倉庫が全半壊する大きな被害でした。ネット通販がやっとうまくいき始めたときにこの地震に遭遇したので、山下さんもすっかり気落ちしたのですが、「蛍丸」で知り合った全国のお客さんから「大丈夫ですか?」という問い合わせとともに注文が殺到したのです。そこで残っているお酒を社員総出で手詰めして何とか注文に応えようと努力し、少しずつ事業を再建していきました。5月の連休に東京・有明でコミケの一種であるSUPER COMIC CITYに「蛍丸」2千本を瓶詰めして持っていったところ、半日で完売したそうです。山下さんは今まで日本酒を飲んできた人たちとは違う層を開拓し、そうした人たちの支持を受けて、何とか事業を回復基調に持っていくことができました。熊本地震の後、山下さんは、これからは「酒造エンターテイメント業」、いいお酒を造って売るだけではなく、お客様をお酒でもてなすというようにミッションを変えて、大きな被害を受けた酒蔵を補助金やクラウドファンディングを活用し「おもてなしのカフェ」として改装しました。ここでは日本酒のお試しセットなども飲めるのですが、ドライバーやお子さんもいらっしゃるので、ノンアルコールの甘酒とかスイーツなども用意して、みんなが楽しめるようにしました。(エ)IT企業の本社が山都町にさらに熊本地震後に山下さんはIT企業の小山さんと知り合って、この方を山都町に招いた際に「こういう山奥にこそ、IT企業に来てほしい」とお願いしたところ、小山さんは了承し、それまで渋谷に持っていたIT関係の会社2社を手放して、新たにIT企業「MARUKU」を山都町に設立したのです。MARUKUは最初通潤酒造の空いたスペースを借りて本社にして、2年目にはあえて東京支社を設けます。これは仕事を東京から取ってくることと、リクルーティングの2つを目的にしたものです。熊本県県北に
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