ファイナンス 2022年11月号 No.684
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(2)人文社会科学の技術化(3)日本の課題 70 ファイナンス 2022 Nov.このように1990年代の後半から21世紀にかけてはこうした大きな物語を語ることが日本だけでなく世界的にもできなくなってしまったというのは現在の特に西側の知的な問題としてあると思います。ちょうどこの時期に出たのが、KKVと我々社会科学者が呼んでいるコヘイン、キング、ヴァーバという3人の著作「社会科学のリサーチ・デザイン」です。この本は、社会科学をいかに自然科学化するか、ということについて現代の統計手法を用いていろいろなリサーチの仕方をコーチングする方針を示した著作です。これは私の属する政治学の分野を含めて社会科学のあらゆる分野で大きな影響を持っております。日本でも今日でもよく言われますEvidence-Based Policy Making(EBPM)が1990年代後半から最初にイギリスで提唱されるようになり、アメリカやオーストラリアでも導入されていくようになります。これは自然科学、とりわけ統計データを用いて、発達したコンピュータでエクセルなどの統計ソフトを使えば簡単に統計処理ができるようになったことが背景にあるかと思いますが、これも科学を政治にどの程度使うのか、ということを十分に吟味せずに、この議論だけが先行してしまったことが西側にとっても大きな問題だったと思います。EBPMには、その基になったEBM(Evidence-Based Medicine)というものがあり、これは医学の世界から来たのですが、当時特にガン治療などで多数の患者に対してどういう治療を行えば最も効果が上がるのかについて統計的な処理ができるようになったことが認識されるようになり、いわゆる標準治療という考え方ができてきたことを背景に、行政についても同じようなやり方でやりましょう、ということがこのEBPMの提唱だったわけです。しかし、政治の重要な要素、それが政策に直接反映することもありうるわけですが、そこにはEvidenceの問題ではない、価値対立をどうするかという問題が当然ながらあるわけです。こうした問題ではEvidence-Basedな解決はあり得ないわけで、これについて何らかの判断を行うのが政治の役割であり、反対派も含めて説得をしてコンセンサスを作り出すというのが本来あるべき政治の姿であるわけです。優先すべき価値が違うわけだから、完全な一致というのはあり得ないかもしれませんが、その中でどうバランスをとるかが本来の政治であって、そのために「大きな物語」というものがやはり必要であるのです。そういうものを抜きにして、「客観的合理的にやれば、理性的な人間は説得される」というモデルでは、政治は機能しないことが今日分かってきたことではないかと思います。最後に日本の課題について一言だけ申し上げます。我々はこれからの世界の「始まり」に立っているのではないかと思います。その一つの大きな特徴はインド太平洋世界が人類の中心になりつつあるということです。このエリアがかつての大西洋世界に代わって、世界の中心になりつつあります。それと政治、経済、社会、文化の仕組みが20世紀から21世へと変化をしていく、すでにその変化は進んでいるわけですが、今回のウクライナ戦争やコロナの経験を経て本格的な変化を認識する時代になっていくということです。これからはグローバルな協調と言いますか、全体的な変化がより重要であり、それは技術と人間との関係というのが大きな課題になると思います。ポストヒューマンであるとかトランス・ヒューマンと呼ばれるもの、人間が自然環境をどの程度制御して、また人類の活動を制限することで自然環境を維持するのかということを人間自身が意思決定していかないといけない、ということだろうと思います。日本は今いろいろな意味で苦しくなっていますので、根本的に基本から見直す、という意味での「大きな物語」を考え直すべき時代だと思います。とりわけ政治行政、あるいは学問もそうかもしれませんが、日本の中に依然として残っている「明治以来の日本は成功した、戦後日本ももう一回成功している、そういうものをまた取り戻したい」という認識からいかに脱却できるか、ということだと思います。現代世界はアメリカであれ、西洋であれ、人類の中のひとつの文明であることがますます明らかになってきていて、それに代わるような優越した文明があるというよりも、複数の文明が人類的なテクノロジーや自

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