ファイナンス 2022年11月号 No.684
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ファイナンス 2022 Nov. 69 令和4年度夏季職員トップセミナー (1)退場する賢人「政策論なき権力」とに分裂をきたしてしまっており、その大きな根源には、一元論的自由主義、つまり過剰な科学合理主義というものが逆に期待に応えられず、それに対する不満が反合理主義、反理性主義という勢力を強めてしまっている、という構造があるのではないかと思います。では、そのミドルグラウンドをどういうふうに扱うのか。科学や理性が万能ではないとするなら、万能ではないところをどうしたらよいのか、ということになるのですが、それについては客観的、理性的、数学的な解答はないということであろうと思います。そのことと「大きな物語の喪失」は、関係していると思うのです。「大きな物語」というのはレトリカルな表現ですが、1990年代前半ぐらいまでは、冷戦が終わった後の世界のあり方というものを考える、そういう思考はまだ存続していたのだと思います。フクヤマ氏であったり、サミュエル・ハンチントン氏であったり、そういう人たちの議論も「大きな物語」の一つだったりするかもしれませんが、ハンチントン氏やフクヤマ氏の議論は、冷戦が終わったことに伴う「従来の政治経済ビジョンの解体に対するレスポンス」としての大きなストーリーだったと思うのですけど、むしろ冷戦やその前の第二次世界大戦、20世紀の前半までの時代を踏まえたような大きなストーリーというのは1990年代の前半ぐらいまではまだ生き残っていたと思います。そういうことを担ったいわゆる賢人たちが1990年代中頃から退場していく、これは世界的にも日本でもそういう傾向があったと思います。1 ジョージ・ケナン冷戦政策の初期をつくった外交官で、それ以上にアメリカでもっとも知性的な外交評論家として尊敬されていたジョージ・ケナン氏は、すでに90歳を超える年齢でしたが、NATOの拡大について非常に強く反対して、「ロシアは決して当時の東ヨーロッパの国々に比べて民主的ではないわけではないので、そこに対してNATOを東ヨーロッパに拡大することは、ロシアの誇りを傷つけ、ロシアの民主化を大きく後退させることになるだろう」と言っていたのです。それに対してオルブライト国務長官とか当時のクリントン政権主流の人たちは「NATOはロシアを封じ込めるものではないし、ロシアはもはやかつてのソ連のような超大国ではないので、それほど気にする必要はない。東ヨーロッパの民主化を定着させるためにNATO拡大は重要である」と言って、ケナン氏の主張は無視されたのです。西側にとってウクライナ戦争に関するベストシナリオはプーチン大統領がいなくなることですが、では彼がいなくなったらハッピーに終わるかというと、その可能性は現実的にはほとんどないでしょう。その後世界は非常に大きなロシア問題を抱えることになるだろうと思われるのですが、それはケナン氏が懸念していたことと重なるのです。2 アイゼア・バーリンほぼ同じ時期に亡くなったのがイギリスの政治思想家として非常に有名なアイゼア・バーリンです。彼はバルト三国出身(ラトビア)でロシア文化に非常に詳しかった人です。彼が生涯をかけて言っていたことは、「政治における価値というのは共約不能な対立を含んでいるのだ」ということです。3 村上泰亮、高坂正堯日本ではちょうど1990年代の前半に村上泰亮氏とか私の恩師である高坂正堯先生といった戦後の政治経済面で知的なリーダーであった人たちが亡くなっております。時間がありましたら、村上氏の「反古典の経済学」という非常に分厚い2巻本の本ですとか高坂先生の「高坂正堯外交評論集」といった著作を読み返していただければ、と思います。村上氏が言っている一番根本のところは、「世界がどんどん進歩していくこと」を前提としない世界となって、その中で価値分配をどうしていくか、世界には西洋文明と非西洋的文明が複数存在する(多系的文明)中で、どういうふうに秩序を構築していくのかが課題である、ということであり、今日あらためて読み返す価値がある議論だと思います。3. 「大きな物語」の喪失 ―賢人の退場と技術者の時代

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