ファイナンス 2022年11月号 No.684
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(3)転機としての2007‐2008年 66 ファイナンス 2022 Nov.ところが2001年に9.11事件が起きて、ブッシュ政権がテロとの戦いに精力を傾けるということになり、2001年にはアフガニスタン、2003年にはイラクで戦争を行うわけです。アメリカの軍事力は政権打倒についてはあっという間に実現して、その力を見せつけたわけですが、その後にアメリカにとって好ましいような、自由民主主義をモデルとしたような政治体制を定着させることについては完全に失敗しました。しかし、アメリカはそこにずっと資源を投入し続けて、アメリカの国力の後退、限界が見えるようになったわけです。また、アメリカはこの6、7年の間、クリントン政権からブッシュ政権にかけてNATOの拡大を進めていきました。これについてはアメリカの中でも議論はあったのですが、基本的にはアメリカは力も価値も圧倒しているので、NATO拡大について大きな危険、リスクはないと考えていたと思われます。さらに「民主的平和論」、すなわち民主化すれば民主国同士は戦争をしないので、最初はちょっと無理をしてでも非民主的な政権を打倒してその後に民主化すれば、長期的には安全になるのだ、という理屈をつけていろいろな形で他国の民主化を後押ししてきました。市場経済についても2001年11月に中国と台湾をWTO(世界貿易機関)に加盟させるという決定がなされましたが、市場経済を導入していくことによって、中国に徐々にでも西側の価値を受け入れさせる、あるいは市場経済に組み込まれることによって中国は西側から離れられなくなっていく、そういう前提の下で市場経済を拡大していくことになりました。しかし、結果的にはテロとの戦いを優先したこと、それからいわゆるアメリカ単独主義を進めたことから、西側の中でもとりわけヨーロッパ大陸国との亀裂をもたらし、アメリカの威信は低下することになりました。その後テロとの戦いでプーチン大統領とも協力関係を深めましたし、北朝鮮問題などで中国にもより大きな依存をするようになったわけで、中国やロシアをはじめとするBRICs諸国の台頭を容認する、というかむしろ後押しすることになったわけです。第一次世界大戦と第二次世界大戦との間の戦間期に関しては「危機の20年」というイギリスの歴史家E.H.カーの著作があります。「危機の20年」における転換点は1929年の世界大恐慌だったと思いますが、現在から過去に至る30年を「危機の30年」と呼ぶのであれば、その転換点を一つ挙げるなら2008年のリーマン危機だろうと思います。その前年の2007年に転機が始まりつつあったと思うのですが、2006年10月に北朝鮮が最初の地下核実験を行いました。9月に発足したばかりの(第一次)安倍政権は北朝鮮に対して国際的な制裁を強化する方向でアメリカと足並みをそろえようとしたのですが、当時のブッシュ政権はイラクやアフガニスタンが大変だということもあって、北朝鮮との対話路線に舵を切ることになりました。その代表的な事例というのは、歴史的にすごく大きなことではないのですが、バンコ・デルタ・アジアというマカオの金融機関への対応です。北朝鮮はここに隠し口座を持っていて、アメリカ財務省が制裁ということでこの口座の資金を抑え込んだわけです。それに対して北朝鮮が強く反発して、「この問題が解決しないと一切の対話を拒否する」との姿勢を示しました。最終的にはアメリカが譲歩して、この北朝鮮口座についてはFRBが仲介して北朝鮮に資金を戻す、という特別措置を取ることとなり、そこまでして北朝鮮との対話を再開することにしたわけです。ちょうどこの時期、2007年末の中国の共産党大会で習近平氏が常務委員の一人に入り、次の国家主席になることが明白になっていくわけですが、この頃から中国でも新しい政治勢力が力を持ち始めたということだろうと思います。2008年8月に北京オリンピックがありましたが、その前後に中国でチベットの騒擾問題があって国際的な論争となりました。IOCと中国は北京オリンピックを無事に開催させることを優先させましたし、結果的に北京オリンピックの開会式にはブッシュ大統領夫妻や日本の福田首相夫妻も参加する、という形で中国との協力を優先することになりました。北京オリンピック開会式の直前にジョージアが係争地域に対して軍事攻撃をかけたことを一つの理由とし

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