ファイナンス 2022年11月号 No.684
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ファイナンス 2022 Nov. 53 プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。単著に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社、2022年)図3 久屋大通公園と名古屋テレビ塔(令和4年9月12日筆者撮影)図4 四間道の風景(図3と同じ)島屋が入るJRセントラルタワーズに面した通りである。その後も駅前と栄地区の差は広がっていった。高島屋は平成27年(2015)に売上高で松坂屋を上回り地域一番店となる。平成30年(2018)に丸栄は百貨店の営業を終了した。令和4年の路線価は名駅通りが1,248万円で、2番手の栄3丁目大津通り846万円の約1.5倍となった。他方、栄地区にも再生の兆しがうかがえる。名古屋国税局管内で最高路線価の前年比上昇率が最も高かったのは「久屋町8丁目久屋大通り」の8.7%だった。久屋大通公園の東に面する道(旧久屋町筋)のうち錦通と広小路の間の区間である。久屋大通りは戦後復興の象徴たる100m道路である。中央を貫く久屋大通公園は元々中央分離帯だったが昭和45年(1970)に都市公園となった。名古屋テレビ塔は昭和29年(1954)の竣工だ。都市公園にテレビ塔や地下街が整備できるのは元が道路だったからだ。公園の錦通りから北は公民連携で再生されHヒサヤisaya-oオオドオリdori Pパークarkとなった。公園にオープンモールが溶け込んでいる。地上波デジタル放送への切り替えでテレビ塔は電波塔の役目を終えたが、観光名所として再生した。「遺跡」の扱いで公園施設となったが、先般、国の重要文化財に指定される見通しとなった。前年比上昇率の最高地点に隣接する区画では中日ビルが建て替え中で、2年後には33階建の新中日ビルが竣工する予定だ。また、先ごろ、久屋大通を挟んで斜め向かい、元の「栄広場」の再開発が着工した。令和8年(2026)に41階建の高層ビルが建つ。上層階はラグジュアリーホテル「コンラッド名古屋」となる予定だ。久屋大通公園に次いでその両岸が変貌する。最後に堀川河岸に目を転じる。堀川舟運は戦後しばらくまで現役の物流ルートであり続けた。近代は輸出入の拠点ともなり、河岸には今も建物が残る輸入商社加藤商会など貿易会社も多かった。明治44年(1911)には名鉄瀬戸線の前身の瀬戸電気鉄道が堀川駅まで開通。瀬戸焼の産地から陶器類が堀川駅で堀川舟運に積み替えられた。しかし「お堀電車」と呼ばれていた外堀区間は昭和51年(1976)に廃止。2年後に栄町を終点とする路線に切り替わる。舟運は廃れてしまったが、近年は水辺と歴史を活かしたエリアに再生しつつある。円えん頓どう寺じ商店街には個性的なレストランやショップが増えた。江戸期の町家が残る四し間け道みちとその周辺は「町並み保存地区」に指定され貴重な観光資源にもなっている。納屋橋界隈には川沿いに「納屋橋ゆめ広場」ができた。堀川を遊覧するクルーズ船の船着き場もある。河岸の遊歩道では夜市などのイベントが催されるようになった。戦前、名古屋駅の南の旧笹島貨物駅から名古屋港までのルートで中川運河が開削された。貨物駅は昭和61年(1986)に廃止されたが、跡地を再開発してできた「ささじまライブ」は運河に連絡する船溜まりを活かした独特の景観となっている。他にも、ノリタケ本社工場の跡地にできた「ノリタケの森」、豊田自動織布工場だった「トヨタ産業歴史記念館」など、近代史を活かしたまちづくりの好例が名古屋に多い。

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