ファイナンス 2022年11月号 No.684
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大三島のみかん畑に囲まれた傾斜地に建つ今治市伊東豊雄建築ミュージアム。手前の銀の丸屋根が建築学会賞を受賞した伊東の自邸を再現したワークショップスペース:シルバーハット、奥の黒い建物が展示スペース:スティールハット。撮影:中村絵(2)大島 28 ファイナンス 2022 Nov.伊東は、「いくら交流スペースをつくろう、コミュニティを形成する空間はここだと、大学での課題のように机上で考えていても人は集まりません。だからこそ、建築塾の塾生が大三島に行き、そこで実践的に、人間関係を少しずつつくろうとすることには大きな意義があります。…プロセスにこそ、交流が生じ、コミュニティが生まれるのです」と語る。観光客として「『日本で一番行きたい島』よりも『住みたい島』にすることこそが、大三島の未来に繋がっていくものと信じています」という伊東は、しまなみ海道の開通により、ほとんどの人が参拝だけするとそのまま他へ移動し、すっかり廃れてしまった大山祇神社の参道エリアに注目。参道のほぼ中央にある魅力的な空き家に目をつける。昔は法務局として使われていたこの二階建ての木造家屋をリノベーションして、「島と私たちを繋ぐ『大三島みんなの家』」に。映画のロケに使われたこともある小学校の教室や校長室がリノベーションされ、夏には家族連れの海水浴客にも人気の宿泊施設は、老朽化による耐震への不安などから、建物の所有者今治市が取壊しを検討していた。伊東は「この島の人たちが通った想い出が詰まった建物を壊してはいけない、問題があるならば耐震補強するなどの方法をとって、島の記憶として残さなければならない」と、建築家として再生案を提案する意義が認められ、伊東豊雄塾の監修でリニューアルしたのが「大三島 憩の家」。教室に泊まり、目の前のビーチで遊び、食は海鮮料理三昧。「ここで行われていることは、これからの日本、その人と人との交流のあり方、経済のあり方、ひいてはグローバル経済に覆われた世界の今を問い直すことにもつながってくると思います。一つひとつの取り組みはとても小さいものですが、その射程はなかなか壮大であると、実感しています。」と伊東は語る。大三島は伊予の国、現在、今治タオルで知られる愛媛県今治市。市庁舎、公会堂、市民会館はいずれも日本人で初めてプリツカー建築賞を受賞した巨匠、丹下健三設計。前述の園尾元裁判官によると、造船業など海事産業が集積する今治では、「海事産業に従事する多くの方々が村上水軍の末裔であることを自認し、今治の地元では村上水軍の末裔がこれを支えていると信じられている」という。大三島からしまなみ海道を四国へ向かうと大島へ。四国と結ぶ来島大橋は大島、今治の間約4kmの来島海峡に架かる総延長4.1kmの3つの吊橋。来島海峡は昔から鳴門海峡、関門海峡と並んで海の難所として知られる。瀬戸内海の中央海域へ行き来する船舶には、避けられない航路であり、海上交通安全法に指定される航路。来島海峡大橋の橋梁計画では、自然環境の保全、船舶航行の安全性、車両の走行性などを考慮、瀬戸大橋での海中基礎の施工実績などによる建設技術の進歩が計画に反映され、合理的な設計で工事数量を減らし、大型作業船を使った効率的な施工で安全性と確実性を向上させ、工事期間を短縮。来島大橋を見下ろす標高307.8mに新国立競技場の設計者、隈研吾の「亀老山展望台」。水平にカットされ公園として整備されていた山頂をもとの地形に戻し、「その地形にスリットをあけ、その中に一続きのシークエンスを持つ展望台を埋蔵」し、「建築を消そうという試みを行った」と隈がいうこの展望台。NIKKEIプラス1の「『多島美』めでる展望台」10の中で全体2位は瀬戸内No1。Trip Advisorでも「旅好きが選ぶ!日本の展望スポット ランキング 2017」で2位のパノラマ展望台ブリッジからは、世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、晴れた日には西日本最高峰「石鎚山」を眺望。来島海峡大橋を渡れば四国である。

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