ファイナンス 2022年11月号 No.684
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ファイナンス 2022 Nov. 27大山■神社宝物館収蔵の左、伊予守源義経奉納の国宝「八■飛びの鎧」。右、頼朝奉納の国宝 紫綾威鎧・大袖付 大山■神社蔵瀬戸内海今昔 を祈りたくなるほど、後ろの席を振り返りっぱなしで観光案内してくれた。大三島の現在。2011年にオープンした日本初の建築ミュージアム、今治市伊東豊雄建築ミュージアム。1970年の大阪万博の会場は丹下健三が設計し、岡本太郎の太陽の塔がそびえ立つが、2025年大阪万博で大催場の設計を担当するのは、プリツカー建築賞受賞者、伊東豊雄。ここでは、1970~80年代の日本の実験的な住宅建築を代表するシルバーハット(1986年に日本建築学会賞作品賞受賞)として知られる自邸を再現。2011年に私塾「伊東建築塾」を設立した伊東は、これからのまちや建築を考える場として様々な活動を行い、大三島では、地域の人々とともに継続的なまちづくりの活動に取り組む。「建築のわかりやすさや、空間の楽しさを表現したい…。それは、見た目だけではなく、その空間に身を置いたときに自然と感じる楽しさのようなものです」と語る伊東。「もっと実践的に、若い人たちと一緒になってこれからの建築を考える場として、小さな建築塾をつくりたいということを、ずっと考えていた」伊東は、大三島で小さなアートミュージアムの設計を頼まれる。2004年に開館した現代彫刻の美術館に新たにアネックスを作り、それも今治市に寄贈する計画。初めて大三島を訪ねた伊東は、「いっぺんに、この島に魅せられ」たという。伊東が美術館の施主に私塾の構想を話すと「『あなたの建築ミュージアムにしたらいい』と言われ、私もびっくりしたのですが、ありがたいことに、それを今治市がオーソライズしてくれました」という。伊東は、「今治は巨匠丹下健三氏の出身地です。そのような土地に私の建築ミュージアムがつくられることには大きな躊躇いがありました。しかし…市の皆様方の温かいお勧めに甘え、お受けすることにしました」という。結果、2011年5月「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」がオープン。この間、彫刻家の岩田健の作品を集めた「今治市岩田健母と子のミュージアム」も設計し、すぐ近くに、ほとんど同じ時期にオープン。同時に、「伊東建築塾」の構想もスタート。「大三島は、じつに不思議な島です。…そこにたたずむだけで、何か神聖な気持ちを抱いてしまうに違いありません。…これまで開発らしい開発は行われず、島には昔ながらの人々の暮らしがそのまま息づいています。…塾生たちも、島に行くとすぐにその魅力に取り込まれてしまうようで、みんなが口々に『あそこに行くと、時間の流れ方が変わる』というのです。…いずれは私も、ここに自分の小屋を作りたいと考えているところです。」と語る伊東。大三島を「一つの回遊式庭園に見立てようと考え」、2012年から、塾生とともに「日本一美しい島・大三島を作ろうプロジェクト」をスタート。「ここで重要なのはこのプロジェクトを私たちだけで進めているわけではない、…島の人たちと一緒になって、むしろ島の人たちに教えを請いながら進めていこうとしています。瀬戸内海ではベネッセホールディングスが主体となって、アートを基軸にした島づくりを行っている直島や豊島、またトリエンナーレとして開催されている『瀬戸内国際芸術祭』といった活動が広く展開されていますが、大三島ではもう少し生活に寄り添ったかたちで『ライフスタイル』としての島づくりに取り組みたいと考えています。そして最終的には、島の人々が何かやりたいということに対して、私たちがお手伝いしていくというかたちになることが望ましいと思っています。」と語る。伊東は、「大三島のような土地で物事を進めていくために必要なのは、やはり人と人との関係」だといい、都会の人間が大三島に行くと、「ある種の波風が立ちます。そこで起きる刺激を、都会の人間も、島の人間も、求めているような気がし始めたのです」と語る。「建築塾でみんなと話していても、常にいちばんの課題としてあがるのは新しいコミュニティのあり方について」だというが、「こうしたテーマは、頭で考えているよりも、現実のなかで面白いことが進行しているようです」という。「建築とは、一言にすれば『人の集まるところをつくる』ということ」だと言う

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