ファイナンス 2022年11月号 No.684
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平家物語 巻9鵯越の「坂落」の場面。平家物語.巻9 - 国立国会図書館デジタルコレクション(ndl.go.jp)(5) 一の谷、屋島、壇ノ浦(1185年 源平の戦い) 22 ファイナンス 2022 Nov.神話の時代から現在までの瀬戸内海を巡る今昔のお話の続き。前回は今年5回目となる瀬戸内国際芸術祭から始まり、過去に遡り、古事記、日本書紀、万葉集、土佐日記、源氏物語の舞台などをご紹介。今回は源平合戦から。今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の前半のヤマ場、お馴染みの源平の戦いの舞台は瀬戸内海。一の谷の戦い。一の谷は今の神戸、光源氏も滞在したという須磨の辺り。平家物語によると、木曽義仲に追われて都落ちをした平家は、いったん九州に撤退するが、盛り返して、ここに陣を敷く。頼朝は範頼を総大将として平家を追討させるが、範頼軍は苦戦。義経にも平家追討を命ずる。海岸まで山が迫る神戸、義経は、地元の猟師に鹿が通ると聞いて、鹿が通るなら馬でも通るといって、別動隊で山側から鵯越えの坂落とし。山側から忽然と現れた源氏軍。慌てふためいた平家は海に逃れるが、多くの武将が討たれる。清盛の命で奈良 東大寺の大仏殿を灰燼に帰した本位中将重衡は逃げるところを遠矢で馬を射られて生け捕りに。当時16才の平敦盛は逃げ遅れ、船に乗ろうとするが、熊谷次郎直実に見つかり、呼び止められ、組み伏せられる。いまだ幼く鉄漿を引いた美少年、敦盛を見て、助けたいと思った直実が後ろを振り返ると、間が悪く梶原ら味方の軍勢がすぐそこに。「同じ事なら、直実が手にかけて、後のご供養をお約束します」と泣く泣く敦盛を討つ。首を武者の鎧で包もうとすると、その腰に一本の笛がさしてあるのに気づく。思えば今朝方、平家の陣から笛の綺麗な音色が聞こえてきて、源氏の武将は皆感動。その笛を見た時、直実の心はいっそう締め付けられる。敦盛の名が今に知られるのは、信長が好んだ能の演目でもあるからか。信長公記によると、桶狭間の戦いの出陣に際して信長は敦盛の舞を、「『人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか』と歌い舞って、『法螺貝を吹け、武具をよこせ』と言い、鎧をつけ、立ったまま食事をとり、兜をかぶってして出陣した」という。現在、須磨寺には、敦盛の首塚が祀られ、敦盛愛用の笛「小枝」は、今も宝物館に展示。古来より全国から多くの人がこのお寺を訪れ、「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇」と芭蕉も詠んだほか、蕪村、子規なども当寺を訪れて歌を詠む。屋島の戦い。「屋島」は今の高松。一の谷の戦いで海に逃れた平家はここに陣を築く。追う源氏、船の上の戦の訓練をしていないと懸念の声に梶原景時は逆魯をつけて自由に動けるようにと提案。義経、初めから退却の準備をしてどうすると一蹴。攻撃一辺倒は猪武者だという梶原と同士討ちの危機。結局、追い風の強風の日に義経は船頭たちを脅して、通常、3日かかる海路を5艘の船で僅か3時間で四国に渡り、少人数で元国際交流基金 吾郷 俊樹瀬戸内国際芸術祭2022まで~(下)瀬戸内海今昔~神話の時代から

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