ファイナンス 2022年10月号 No.683
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ファイナンス 2022 Oct. 73黒糖を製造する様子(奄美市立奄美博物館所蔵「南島雑話」)本場奄美大島紬(写真提供:奄美市)黒糖焼酎(写真提供:奄美市) 奄美大島たとする説、琉球から伝わったとする説があり、はっきりとは分かっていません。伝来以降、藩の奨励によりサトウキビの栽培が本格的に始まります。18世紀になると、黒糖の専売によって利潤を得るため、藩によるサトウキビの強制割り当て栽培と買い上げ政策が始まりました。この制度が始まった頃は農民がサトウキビを自由に販売することもできましたが、次第に栽培が強制されるようになっていきます。1947年には換糖上納となり、米で納めていた税を黒糖に換算して納付することが始まると、稲作(水田)からサトウキビ栽培(畑作)への転換が強いられました。最も過酷な時期は「黒糖地獄」とも呼ばれ、サトウキビの刈り残しが多いだけでも厳しい罰が下されたと言われます。薩摩藩は大阪で黒糖を高値で販売し大きな利益を得ます。明治維新で重要な役割を果たした同藩ですが、その財政を支えたのが奄美の黒糖でした。黒糖は奄美大島を代表する生産品ですが、他にも有名なものとして「大島紬」、「奄美黒糖焼酎」があります。大島紬は絹100%であり、30以上もの工程を経て作られる生地は、出来上がるまでに半年から1年以上かかります。その歴史はおよそ1,300年といわれており、ペルシャ絨毯、フランスのゴブラン織りとともに世界三大織物に数えられています。全作業工程の見学や、一部工程の体験ができる施設、着付けが体験できる施設もありますので、紬の魅力を是非味わってください。奄美黒糖焼酎は黒糖が原料で、すっきりとした甘みが特徴です。日本では酒税法上、奄美群島だけでしか作ることが認められていない焼酎で、多くの島民に愛されています。工場見学、試飲ができる蔵元もありますので、お気に入りの銘柄を探してみてはいかがでしょうか。昭和31年には沖永良部島に知名監視署、昭和35年には徳之島に平土野監視署、昭和41年には奄美大島に奄美空港出張所及び名瀬外郵出張所が設置されました。なお、上記名瀬税関支署等の業務のほとんどは当4 名瀬監視署の沿革について奄美大島に税関が設置されたのは、昭和28年12月に奄美群島が本土復帰(奄美群島は沖縄県と同様に戦後米国軍政府に統治されていました)したのに伴い、現在の奄美市名瀬に「名瀬税関支署」が設置されたのが始まりです。名瀬税関支署の下部組織として、奄美大島の古仁屋、徳之島の亀津、与論島、沖永良部島の和泊、喜界島の早町にそれぞれ監視署(昭和30年に全て出張所に昇格)が設置されました。(2)奄美群島の特産品

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