ファイナンス 2022年10月号 No.683
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ファイナンス 2022 Oct. 59プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。単著に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社、2022年)図3 再編後の中央通りイメージ (出所)四日市市提供通り」だった。中央通りの駅側である。オカダヤ改めジャスコオカダヤ四日市店は堀木屋菓子店の2軒隣にあった。この年に既存店を改装し、向かい側に新館を新築している。このように、岡田屋~ジャスコの本店は辻から諏訪新道、近鉄四日市駅前と移り変わってきた。たしかに街の中心の変遷と一致している。その後も駅前周辺はジャスコ四日市店と近鉄百貨店がけん引する形で発展する。昭和48年(1973)には近鉄四日市駅が高架化。高架化に伴う再開発が進み、昭和63年(1988)に近鉄系のファッションビル「スターアイランド」が完成した。平成3年(1991)には駅の西側の工業高校跡地に、都市公園を中心に博物館、ホテル、百貨店等からなる複合施設「アムスクエア」が完成、松坂屋が進出した。もっとも最高路線価のピークはその翌年の平成4年(1992)だった。かつて本店だったジャスコ四日市店の閉店から20年経ち、商店街には空き店舗が見られるものの住まう街として再生の兆しがうかがえる。諏訪新道などかつての中心街にマンションが建ち、住民も増えてきている。ジャスコ四日市店の跡は旧本館が平成20年(2008)に18階建、旧新館が平成29年(2017)に15階建のマンションになった。最高路線価地点は平成23年(2011)から「安島1丁目ふれあいモール通り」になった。近鉄四日市駅の北側の高架下とその東西の公道を街路状に一体整備したオープンモールである。通りの突きあたりにトナリウォーカブル視点の「ニワミチ」再生90年代に本格化した商業の郊外化も四日市においてはジャスコが主役だった。昭和51年(1976)、日永カヨーSCに日永店が出店。平成5年(1993)に建て替え大規模化した。同じ国道1号沿いに平成7年(1995)、中部初のディスカウント業態のパワーシティー四日市が出店した。平成10年(1998)、四日市ICに至る国道477号沿いにジャスコ四日市尾平店が開店した。そして平成13年(2001)、ジャスコ四日市北店がオープン。海を除く3方から郊外店に囲まれる形となった四日市の駅前中心街だが、その年のうちに松坂屋が撤退。翌年の平成14年(2002)にジャスコ四日市店が閉店した。エ四日市がある。元のアムスクエアで平成17年(2005)の改装後「ララスクエア」になり、昨年から今の名前になった。シネコンや総合スーパーが入る。四日市はリニア新幹線が開業する令和9年度(2027)を目途に中央通りの再編を計画している。近鉄とJRの四日市駅の間の車道を南側に寄せて車線を減らす。幅70mの空いた部分はどうするか。近鉄四日市駅に近い方にバスターミナル「バスタ四日市」を整備。その先JR四日市駅までの区間は中央緑地とまとめて公園化する。クスノキ並木の豊かな緑が織りなす街の「ニワ」、歩いて楽しい「ミチ」を合わせた言葉の「ニワミチよっかいち」が中央通り再編のコンセプトだ。9月22日から10月16日まで再編後の中央通りを体験するための社会実験「はじまりのいち」が開催された。中央緑地帯にスケートボードパークが登場し、飲食や物販の出店が連なる。自動運転バスや小型カートが運行されるなど次世代モビリティ実証実験も兼ねている。ふりかえれば四日市の街の大黒柱も車をつけて動いてきた。街の場合、その中心がこれまで動いてきたという意味に加え、時代に応じて中心街の機能が変わるという意味がある。過去の賑わいを求めるタイプの活性化にとらわれることなく、次世代の街の機能を見据えた活性化像と、まちづくりにかかる柔軟な発想が求められよう。「ニワミチ」の取組みはその1つだ。

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