ファイナンス 2022年10月号 No.683
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源氏物語絵巻.[3] - 国立国会図書館デジタルコレクション(ndl.go.jp)明石海峡大橋。98階(海上約300m)まで約2分で到着する主塔からの景色は絶景というよりは絶叫系。天気が良いとあべのハルカスまで見えるという。本州四国連絡高速道路(株)提供:明石海峡大橋ブリッジワールド:世界最大級の吊橋を体験しよう!−JB本四高速−(jb-honshi.co.jp) 48 ファイナンス 2022 Oct.くださるようにお願いします。」とつれない返事。源氏物語「明石」。万葉集で柿本人麻呂が「天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」(二五五)と詠んだ明石。当時、明石より西は畿外。西方から瀬戸内海を来て明石海峡にさしかかると、都人にとっては家に帰ってきたと実感したという。須磨に源氏がいると知った元国守は「娘にとってなんと素晴らしいチャンスではないか」と嵐の翌日、源氏を明石に招く。須磨と比べて、「明石は明らかにまるで違った種類の場所だった。実際、最初の印象は、どうかすると、ここでは十分に人里から離れた場所を探すのは難しいのではないかというものだった」と描かれる。田舎者の自分に高貴な身分の男が振り向いてくれるわけはないと思う元国主の娘と光源氏とのやり取りは、スマホもLINEなく、歌のやり取りが繰り返される時代。最初に光源氏からもらった手紙に娘はビビッて困り果てて父親が代書するなどずいぶんじれったいが、やがて娘は妊娠。と思ったら、間もなく、お上は光源氏を都に呼び戻すことを決める。別れにあたり、光源氏は娘に「ささやかな曲を一曲演奏してくれないだろうか、君を思い出すために。それを頭の中に入れて運び去れるように」と言い、琴を弾かせる。以下、都に戻れば光源氏もエンジン全開である。日本標準時子午線が通る明石市は平成10年に淡路島への全長3,911m、世界最長の吊り橋、明石海峡大橋が完成。パールブリッジの愛称を持つ美しい佇まい。海面上約300mの主塔から360度パノラマ体験ができる。1995年1月、両方の主塔が立ち上がって、メインケーブルの架設作業中に阪神淡路大震災発生。地震後、直ちに詳細な点検を行った結果、橋自体に深刻な構造上の損傷は見当たらず、その後の測量等の結果、地盤が動いたことにより橋の長さが変化していることが確認。構造への影響はわずかであり、主塔と主塔の間の距離が変わったため、未製作の桁のパネルの長さを調整することで対応したという。農林水産省のWebsiteの「うちの郷土料理」掲載の「明石焼き」。たこ焼き器で作るこの料理。たこ焼きはソースをかけて食べるが、かつおや昆布のだし汁につけて食べる。光源氏の時代にはきっとタコ焼き器は無かったろうが、明石焼は今も神戸の5つ星ホテルの朝のビュッフェにも出てくる。平清盛が太政大臣の時代、嘉応元年(1169年)、備後大田荘公認の倉敷地(荘園米の積み出し港)となって以来、自然の良港を持つ尾道は、中世・近世を通じて「瀬戸内随一の良港として繁栄し、人・もの・財が集積」、「限られた生活空間に多くの寺社や庭園、住宅が造られ、それらを結ぶ入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市が生み出された」という。テレビで見たが、坂のまち尾道では、車が通れない坂道は宅配のお兄さんも背負子で運ぶという。千光寺。標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、(大同元年・806年)遣唐使として唐に渡った弘法大師、空海の開基。かつて山頂には長く市民に愛された丸い展望台。今年3月、ゆるやかな螺旋階段(4)尾道(1169年 尾道が倉敷地に)

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