ファイナンス 2022年10月号 No.683
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ファイナンス 2022 Oct. 47鳴門の渦潮の45m上にかかる大鳴門橋。渦潮に影響を与えないように、塔基部は多柱式の下部構造で支える。出典:鳴門の渦潮(鳴門海峡) - 徳島県観光情報サイト阿波ナビ(awanavi.jp)瀬戸内海今昔 年 伊予の海賊、宮崎付近に集まって掠奪を行う」とあり、人や物が往来する大動脈、瀬戸内海は古くから海賊が跳梁。古今和歌集の選者、紀貫之の「土佐日記」では、鳴門の渦潮を見ても特段の感想もなくスルーし、ドナルド・キーンも「名だたる鳴門の海を渡っていながら、所感一つも出ないのであろうか」、「海上での彼の関心は海賊の襲来に限られている」と語るように、土佐守として海賊の取り締まりに当たっていた貫之も海賊を恐れたという。実際、土佐日記の完成する前年には海賊が瀬戸内海などに横行したため、朝廷が追捕海賊使を任命し、939年には藤原純友が海賊と共に反乱を起こしている。現在、鳴門には、1,000点以上にのぼる西洋名画を原寸大で陶板に複製・展示する「大塚国際美術館」がTripadviserの「行ってよかった美術館&博物館ランキング2011」で美術館の1位。1985年には、渦潮の上に中央支間長876mの吊橋、大鳴門橋が完成。橋梁工学のテキストによると、「橋は安心して使え、使いやすく、美しく、長寿命であり、しかも経済的にできていなければならない。…橋は…それを見る人たちに気持ちよさを与えなければならない。単に使用して便利であるというだけでは、公共の場所を占拠する価値はない。」という。橋には、群衆、自動車、列車の重量、橋自身の重量、台風による風圧など様々な荷重が作用するが、吊橋は、「張り渡されたケーブルにより、おもに交通路を吊る構造となっている形式の橋」で特に長径間の橋梁としてきわめて適した形式だという。本州と四国を結ぶ三つの連絡ルートには、長大吊橋を多く建設。大鳴門橋の車道下に設置された海上遊歩道「渦の道」の展望室からは約45mの高さから渦潮を覗ける。鳴門大橋を渡れば淡路島。なお、ラーメンのトッピング「なると巻き」の渦巻きの由来は、鳴門の渦潮に似ているからともいわれるが、鳴門の名物ではなく、全国生産量の9割が静岡県焼津市。紫式部の源氏物語、平安時代の貴族を描いた物語は、殆ど京都を舞台。全54巻中第12巻「須磨」と第13巻「明石」では、京都を離れた光源氏の物語は須磨(今の神戸)、明石で展開する。全編女性との逢瀬ばかりの物語の中で、宮廷での立場が危うくなり、自ら引きこもった源氏を描く「須磨」には女性との逢瀬がない。谷崎潤一郎、与謝野晶子、瀬戸内寂聴など源氏物語の現代語訳は多いが、ここでは、名訳Tale of Genjiにより、源氏物語を世界に紹介し、ニューヨークタイムズでも絶賛されたアーサー・ウェイリー本の日本語訳による。須磨の人には大変失礼だが須磨までの60マイルの旅が「源氏には、中国の詩人たちが昔からよく口にする『三千里』を旅してきたのだと思えた」という。須磨は美しいところだったようで、有名人の滞在は、太宰大弐の一行が都に戻る途中「どこよりも美しい入り江と言われていた」須磨に立ち寄るつもりでいたところ、スーパースターの源氏がそこにいると聞いて「若い人たちは興奮して大騒ぎになった」という。今の須磨は神戸市須磨区で光源氏も楽しんだのかわからないが、潮干狩りができる海岸。現在、洋菓子で知られる神戸。明治時代、開港された外国人居留地で外国人向けのパン屋やホテルができ、デザートなどが出されたのが神戸の洋菓子の始まりという。ある「神戸でおすすめの洋菓子ランキング」によると1位は昭和6年創業、バレンタインデーのチョコレートギフトの仕掛け人、老舗モロゾフのお店。昔、大阪の人に「どこの大阪の家庭にもあるものはモロゾフのプリンの容器とタコ焼き器」と聞いた。モロゾフのサイトをみるとQ&Aに「モロゾフのプリンのガラス容器がたくさんたまっています。捨てるのはもったいないような気がするのですが。」という質問があるくらいだから、実際使われていそうだが、「召しあがったあとのガラス容器はよく洗って資源ゴミとしてお出し(3)源氏物語(平安時代中期)

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