ファイナンス 2022年10月号 No.683
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44 ファイナンス 2022 Oct.島々にも拡張。直島から小型船で1時間弱の犬島に2008年オープンの巨大な煙突がそびえる煉瓦造りの「犬島精錬所美術館」。1909年から10年間だけ稼働した銅の製錬所が廃墟となっていた。そこを産業廃棄物の投棄場にするという話があったのを福武が用地を買い取り「ここをあまりにも多くの課題を抱えた日本が回帰する場所にしたいと思った」という。三島由紀夫の解体した旧居を所有していた福武が、大阪万博や三島が自殺した1970年まで回帰するとの考えで、犬島に住んだこともある柳幸典に「三島邸をモチーフにした作品をどうにかして作ってほしい」と依頼。ここでも妥協を許さずできたのが犬島精錬所美術館だという。ベネッセハウス ミュージアムに多数のバンザイするウルトラマン、ウルトラセブンの人形を並べた「バンザイコーナー1996」が展示される柳。ここでは三島の部屋を宙に浮かせたソーラー・ロックなど建物と一体化した6作品「ヒーロー乾電池」を提案。建築家は、当時まだ大きな建築を手掛けた経験のない、空調に風・太陽・水などの自然エネルギーを使って設計する三分一博志に思い切って頼んだという。三分一は瀬戸内海地域の気候や島の地形も建築の一部として捉え、もともと在るものを建築に生かすために緻密なリサーチを重ね、太陽、空気、風、水を「動く素材」として建築に組み込む。製錬所の象徴的な煙突を美術館の動力として建築の中心とする空間プラン。電力による空調は使わずに地中熱による冷却、地中に熱を逃がすために曲がりくねった長い回廊アースギャラリー。鑑賞者が回廊を進むと、空間を自然光で照らすため、鏡に映った太陽がどこまでも追いかけてくる。夏は涼しく冬は暖かい、年間を通じて気温が安定した地下空間の特徴を最大限に利用した構造。結果、三分一は日本建築家大賞(2010年)と日本建築学会賞(作品賞、2011年)とをダブル受賞。二つの賞を同時受賞した唯一の建築家となる。三分一は2022年の芸術祭では、直島でThe Naoshima Plan「住」として、伝統工法と現代技術を組み合わせた「工法」で地域の自然を最大限に取り入れた長屋を秋の完成を目指し建設中。古い民家をアートスペースに改修した犬島「家プロジェクト」。アーティスティックディレクター、長谷川祐子(2021年から金沢21世紀美術館館長)、建築家は金沢21世紀美術館の設計者SANAAの妹島和世。鑑賞者は島の風景を見ながら集落に点在するギャラリーでさまざまなアーティストの作品をめぐる仕立て。妹島は「できるだけそこにあるものを使おうと考えました。その上で新しいものが必要なところには、アクリルやアルミなどの現代的な要素を取り入れて、既存の集落の風景とアート、そしてそこにある島の生活が交じり合った、新しい風景を作れないかと考えました。」という。犬島の後2010年にできた豊島美術館。直島から犬島行のフェリーで20分余りの豊島には1975年から13年間にわたり、産業廃棄物が不法投棄。その豊島で公害調停が成立したのは2000年。「それで、よし、何とかしようというので、豊島にも美術館を作ることになった」、「島の求心力として、一つの美術館を寺院や教会のようなシンボリックなものにしようと思った」と福武は語る。空を飛ぶのが趣味だという福武がヘリコプターで見て回って、今の場所を見つけ、島の方からの理解と、話し合ったうえで島の人たちの合意を得て進める、そのためのプロセスを大切に建設。「最終的に建築家は西沢立衛さん、アーティストは内藤礼さんにお願いしました。いいのをつくってくれよ、と。プロセスも全部二人に任せました」と福武は言う。その建築。2010年にSANAAとしてプリツカー建築賞を受賞し、「社会や他者に開かれた建築を作りたい」という西沢は、「デザインは理論的な部分と感覚的な部分」があり、「建築は感覚的な部分も非常に大事」だという。「「わかりやすさ」ということ」重視しているという西沢は、福武に「建築単体だけを作るのではなく、アートと建築、自然が一体化したものをつくれないか」と言われ、「アート、建築、自然の調和・連続ということは、かねてから僕が興味を持っていた課題でもあったので、非常に共感するところを覚えて、設計の作業を始めた」という。結果、海を近くに臨む小高い丘の中腹に瀬戸内海の島々の中でもひときわ緑が多く、豊富な湧き水を持った豊島の環境とよく連続し、内藤礼の作品と共存し調和する「水滴のよ(3)豊島―島民とともに作った豊島美術館

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