ファイナンス 2022年10月号 No.683
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ファイナンス 2022 Oct. 13*5) http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/june/4/newsid_2496000/2496277.stm*6) http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-paci■c/188976.stm*7) http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/340564.stm*8) http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4416574.stm*9) 1990年代初頭に中国で始まった気功法。欧米、日本など海外へも普及し、一時7000万人の支持者を得たが、1999年に中国政府と衝突があって以来弾圧の対象に。宗教、人権弾圧の観点から米議会を始めとして国際社会からの注目度が高い。*10) https://www.bbc.com/news/world-asia-paci■c-16526765*11) http://www.china.org.cn/international/news/2008-11/02/content_16700275.htm英国と中国の二国間関係 港との関係やその体制について中国と合意する必要があった。こうした中、サッチャー政権下(保守党、1979.5.4-1990.11.28)の1982年4月、香港の将来に係る公式の二国間協議が開始され、2年間の交渉を経て調印された「英中共同宣言」において、香港は1997年6月30日以降、中国の下で「一国二制度」を取ることが定められた。返還合意後は、1986年10月にエリザベス女王が中国を初めて訪問するなど、英中関係は良好に推移するかに見えた。しかし、1989年6月に「天安門事件」が発生。サッチャー首相は「衝撃を受け、愕然としている」と述べ*5、発生から数週間後の6月26日、EUの一員として中国に対し武器禁輸措置を課した。また、「一国二制度」の下で返還自体は合意されたものの、具体的な政治体制を巡り英中間で意見の相違がたびたび表面化した。例えば英国がメージャー政権(保守党、1990.11.28-1997.5.2)下の1992年10月に、親英・民主派政党の勢力拡大を狙った普通選挙を規定する民主化改革案を発表したことを受け、数か月間交渉が中断された。その際は、選挙権は拡大するが、普通選挙は規定しないという妥協案で決着した。その後、ブレア政権(労働党、1997.5.2-2007.6.27)下の1997年6月30日、156年間の英国による支配を経て、香港は正式に中国に返還された。香港返還後、英中関係は急激に深化する。1998年10月、上海の新証券取引所や英国保険会社を訪れ、英国を「ヨーロッパでナンバーワンの中国の友人」にしたいと述べたブレア首相は*6、人権問題解決より経済関係を優先する姿勢を取った。例えば、1999年5月にダライ・ラマ14世とロンドンで面会した際、チベット領有権を巡る中国への姿勢について正面から議論しなかった上、その後も「ダライ・ラマ14世をチベット政府のトップとして認めていない」との見解を表明し、中国への配慮を見せている*7。さらに同年10月に胡錦涛国家主席とその夫人が訪英した際、ロンドンでチベット運動家によるデモが発生したにも関わらず、ブレア首相は「両国間の経済的つながりの高まり、国際的な安全保障問題、気候変動に焦点を当てる」と述べ、人権問題への言及は避けている*8。他方で、香港については、(1)当時香港で合法であった法輪功運動*9のメンバー逮捕、(2)中国政府への反逆行為を禁止する改正香港憲法23条の香港行政長官による発表、(3)香港の選挙法を変更する場合の中国政府の事前承認や香港行政長官の直接選挙に当たっての中国政府の拒否権を北京政府が規定、といった動きが採られたことに対して、ブレア首相は2004年7月、「返還交渉で合意された内容が履行されていない」との非難声明を発表している*10。こうした動きにもかかわらず、英中関係はブラウン政権(労働党、2007.6.27-2010.5.11)下でも強化され続けた。例えば、2008年北京オリンピック時の温家宝首相との会談や、2009年の中国共産党60周年記念に際してのエリザベス女王から胡錦涛国家主席への祝辞等、トップレベルでの良好な関係を築くのみならず、2008年のウェールズ・重慶友好協力協定といった地域間交流や、「英中経済・金融対話」(3章(3)で詳述)の発足等、経済面での関係構築が図られた。また、2009年の温家宝首相の訪英で、英国初の「中国戦略」を発表、この中で、国際社会における中国の影響力拡大を後押しする立場を明確にした。また、ブラウン首相もブレア首相同様、中国を巡る人権問題には正面から切り込まない姿勢を取り、2008年10月、「チベットが中国の一部であり、独立を支持しない」ことを表明した*11。続くキャメロン政権期(保守党、2010.5.11-2016.7.13)の英中関係は「黄金時代」と形容され、経済面を中心に最も密接となった。第3章(3)で詳述する通り、この時期キャメロン首相は、リーマンショック後の所得収支赤字を回復させるため、大規模な企業使節団を連れて訪中、自らセールスマンとなっ(3)香港返還後の英中黄金時代

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