ファイナンス 2022年10月号 No.683
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0銀銀茶銀清*1) 不平等条約の内容は、(1)香港を譲渡、(2)広州・廈門・上海・福州・寧波の開港、(3)貿易自由化、(4)賠償金支払。*2) さらに列強による中国分割が行われた際、1898年6月にイギリスが九竜半島北部と付属する33の島嶼を99年間租借とすることを清に認めさせた。*3) 明治期(1870年〜1872年)の日本にも、金融や銀行に関する助言と援助を行っている。*4) 香港は通貨制度として「カレンシーボード制」を採用しているため、HSBCを含む発券銀行は、定められた交換レートで、自らが発券した香港ドルを米ドルに交換しなければならない。(図3)HSBCの顧客口座別残高地域別割合(2021年)綿織物インド英国アヘン(出典)HSBC500その他の国400300200100その他の国フランス米国英国米国英国フランス香港香港20192020その他16.1カナダ3.4シンガポール3.4フランス3.4中国本土3.5米国6.6英国31.4(出典)HSBCその他の国フランス米国英国香港2021香港32.2 12 ファイナンス 2022 Oct.(2)香港返還を巡る議論立した(図1)。これは、当時英国植民地であったインドで大量のアヘンを製造して清へ輸出、その対価として銀がインドへ支払われる流れを作った上で、産業革命で生産性を高めた英国産綿織物をインド市場で流通させ、インドがその対価として銀を英国に支払う関係を指す。「三角貿易」により、植民地インドを経由して、清の銀が英国の下へ還流する構図を作ったのだ。これに対し清は、アヘン問題担当の閣僚(欽差大臣)を務めていた林則徐が、アヘン禁止令に違反した英国商人のアヘン倉庫を封鎖すべく、逮捕状を発出するとともに、アヘンを全て没収・焼却処分する。これが引き金となり、第1次アヘン戦争(1839~1842年)が勃発。結果、清が敗北し、1842年、香港島の割譲を含む不平等条約、南京条約*1が結ばれた。さらに、英仏―清間で勃発した第2次アヘン戦争(アロー戦争)(1856~1860年)後に締結された北京条約*2により麻薬取引が合法化されるとともに、香港島の対岸の中国本土から延びる九龍半島も含めてイギリスに割譲されることとなった。(図1)三角貿易こうした経緯を経て、英国は、今日世界的な貿易・金融都市となった香港発展の礎作りに深く関与した。例えば、インドで生産されたアヘンを清へ販売していた貿易会社(ペニンシュラ・オリエンタル汽船会社)で働くトーマス・サザーランドは交易経験から商業銀行の必要性を見出し、第2次アヘン戦争後の1865年、現在のHSBC(Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)ホールディングスの前身となる香港上海銀行を香港に設立。アヘン売買による利益は同銀行を介して英国へ送金された。香港上海銀行はその後、アジア全土にビジネス網を拡大、中国の茶、絹、インドの絹、麻、フィリピンの砂糖、ベトナムのコメ、絹の貿易から巨額の収益を上げ、中国・東南アジアと英国を結ぶハブとして成長を続けた*3。1980年代以降、HSBCはアメリカや欧州にもネットワークを広げ、グローバル金融機関として世界中で収益を得ているが、現在でも最大収益源は香港であり(図2, 3)、また、同じく英系のスタンダードチャータード銀行及び中國銀行と並び、香港ドルの発券銀行の一翼を担っている*4。(図2)HSBCの国別純営業利益(億ドル)6001972年、保守党のエドワード・ヒース内閣(1970-1974)において英国は中華人民共和国と外交関係を樹立した。これは1997年の香港の租借権期限まで25年というタイミングであった。従って、それ以降の政権は、北京政府との関係を強化しつつ租借期限後の香

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