ファイナンス 2022年9月号 No.682
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学、マクロ経済学はケインズ経済学、ということです。サミュエルソンは次のように言っております。「資本主義経済は時として深刻な不況に陥る。失業率が高くなる。そこで活躍するのがケインズ経済学である。ケインズ経済学の教える通りに財政金融政策を適切に使い、できるだけ早く完全雇用の状態に経済を持っていきなさい。完全雇用の状態では資源の有効配分、efficiency(効率)も非常に大事なことで、そこではいわゆる限界原理が活躍する。Efficiencyに関していろいろなことを教える新古典派のミクロ経済学を使わなければいけない。」こういうことで皆納得していたのです。私が学生だった頃は、そういう時代の終わりの頃でした。ワルラスの一般均衡理論の立場からすると、「ケインズ経済学は何を言っているのかよくわからない。ケインズ経済学にはミクロ的基礎付けがないのではないか?」という話になるのです。右下がりである「市場の需要曲線」と違い、個々の企業が直面する「個別需要曲線」(individual demand curve)は、一般均衡理論の中でも一番標準的な、いわゆる完全競争(企業でも家計でも価格だけを所与として行動し、効用・利潤を最大化する)の場合、水平です。これは何を言っているかというと、マーケットで与えられている価格でいくらでも売れるということです。でもいくらでも売れるというなら、売り手はいくらでも作りますよね。それを止める論理は「限界費用が逓増していく」というものです。それである時点で生産を止めるのです。それ以上作ったら採算割れするから、企業は生産しなくなるというのが新古典派の完全競争の下での均衡です。一方でケインズ経済学の立場からすると、「そういう場合もあるかもしれないが、一般的ではないのではないか? 売れるというなら、企業はいくらでも売り6.マクロ経済学のミクロ経済化しかし1970年代からどんどんマクロ経済学のミクロ経済学化が進んでいきました。それはどういうことかというと、「ケインズ経済学というのはよくわからない。」というところから始まります。たいのではないか? 売りたくても売れないから生産しないのだ」と反論します。「売りたくても売れない」ということは、経済学の言葉では完全競争ではないということ、不完全競争の世界ということなのです。そのようなことをいろいろやっている間に、アメリカの経済学界で最も力を持ったのは、シカゴ大学でした。ミルトン・フリードマン(M. Friedman)、ロバート・ルーカス(R. E. Lucas, Jr.)など、シカゴ大学を中心とする、日本ではやや不正確に「市場原理主義」といわれる人たちです。要するに資本主義経済というのは、自由放任にしておけばそれでいいのだ、と考える人たちです。それでルーカスその他の人たちが「合理的期待理論」その他いろいろなものを持ち出して、あらゆることをやってきたわけです。ではどんなミクロ的基礎付け、数学的なモデルができたのか、ということですが、要は企業にしても家計にしても代表的な企業、家計を措定してその行動を詳しく調べて、それを相似拡大してマクロ経済の姿をとらえる、わかりやすく言えばそのようなことをやったわけです。それに対して、私が思う正しい状況というのは、すべてのミクロの主体は、マクロの中でさらに小さな「小宇宙」(Micro Universes)に入り込んでいて、この「小宇宙」のもとで最適化を図るのです。その積み上げとして、結果として、日本経済というマクロがで7.新古典派的マクロ経済学ケインズの経済学とワルラスの一般均衡理論は違った土俵です。違った土俵でどこがどのように違うのか、ということを学問の世界で60年間理論闘争をやってきたのです。8.ミクロとマクロの関係私は、それはダメだと考えております。「合理的期待」もそうですが、ほとんどすべての経済モデルというのは、イメージ的にいうと、ミクロの家計や企業はマクロ経済の中にあって、制約条件として「マクロ」を全員がシェアしている、というものです。 66 ファイナンス 2022 Sep.

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