ファイナンス 2022年9月号 No.682
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令和4年度職員トップセミナー ファイナンス 2022 Sep. 65という命令を受けて、あれやこれやとやっているわけです。まさにマクロの統計を作ろうという話です。19世紀末から主としてイギリスで今の言葉でいうGDPの推計のようなものが始まりました。19世紀終わりのイギリス経済は新興のアメリカやドイツに追い付かれつつあるという同時代的認識を持っていたのですが、それをきっちりと押さえる統計がなかった。経済全体の大きさはどうなっているのか? 端的にイギリス経済はアメリカやドイツと比べてどうなのか? この問題意識を実務的に一番持ったのはイギリスの大蔵省です。大蔵省には優れたエコノミストがたくさんおり、その中で例えばロバート・ギッフェン(R. Giffen)のような人たちがコツコツと統計を作り始ました。最終的には、第二次世界大戦勃発と同時にケインズが大学から二人の弟子を連れて大蔵省に移り、戦時経済をコントロールするために今日の国民経済計算とかGDP統計をしっかり作り上げることをやりました。ケインズが大蔵省に連れて行った二人の有能な弟子であるジェイムズ・ミード(J. E. Meade)とリチャード・ストーン(J. R. N. Stone)は、ともに後にノーベル経済学賞を受賞することになります。特にストーンはマクロ統計の整備者として国連を中心に改定を主導し、今日でも国連は国民経済計算の国際的なコーディネーターになっています。2つ目の流れは景気循環の実証研究です。景気循環というのは19世紀からすでに誰もが否定できない、目に見えるものであり、特に不況は「不都合な真実」であったわけですが、大学の経済学というのは、どちらかと言うと「限界革命」以来、ミクロ経済学寄りになって「パレート最適」といった話になっていたわけで、いきおい景気循環についての研究は実務家が担うことになりました。ジュグラー(J. C. Juglar)のような人が「ジュグラーサイクル」という景気循環の一つの形態で名を残しております。なったのです。ちなみにケインズの「一般理論」は1936年2月に刊行されましたが、昭和17年(1942年)に当時の大蔵省が「一般理論」を全訳しております。理財局の調査月報に、抄訳ではなく全訳が掲載されております。旧大蔵省時代からこうした経済学の動向に対して、しっかり学ばなければいけないという姿勢を持っていたということで、私はこれは良き伝統として今後も財務省に続けていただきたいと思います。ケインズの「一般理論」はご存じの通り、資本主義経済の「不都合な真実」をいろいろ扱うわけであります。一方で新古典派の経済学は「資本主義経済というのはうまくいく」と考えるのです。5.サミュエルソン「新古典派総合」第二次世界大戦終了後、学問の中心がヨーロッパからアメリカに移りました。そのアメリカではMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授であるサミュエルソン(P. A. Samuelson)が登場します。経済学の世界で、戦後最も著名な学者だと言っていいかと思いますが、彼は1960年代に「新古典派総合」を唱えました。これはある意味とても分かりやすくて、経済学は「二刀流」である、すなわちミクロ経済学は新古典派経済(2)景気循環の実証研究(3)ケインズの「一般理論」出版 1936年3つ目の流れは1936年に出版されたケインズの「一般理論」です。これが今日のマクロ経済学の出発点と

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