ファイナンス 2022年9月号 No.682
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その考えは現在のフランスにいまだに残っていると言えるかもしれません。およそ学問の中で最も規範となるべき学問は数学である、と。数学を現実に応用したものとして物理学があります。ラグランジュ(Joseph-Lois Lagrange)とかラプラス(Pierre-Simon Laplace)といった人たちの19世紀初頭における活躍があって、やがて同じ世紀の終わりにワルラスが登場します。ワルラスは、経済学という学問をぜひともデカルトやラグランジュ等々によってうち立てられた学問の伝統の中で、respectableな(立派な)学問にしたい、と書き残しております。そういう情熱をもって彼は一般均衡理論を構築したのです。イギリス人マーシャルは全然違います。みなさんご存じの需要と供給の図があります。リンゴの数量を横軸に、リンゴの価格を縦軸に、右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線が描かれ、交点で均衡する数量と価格が決まる。これはマーシャルがやったことです。部分均衡分析ということがよく言われますが、リンゴだけを考えるのです。マーシャルは繰り返し、「リンゴだけ取り出して考えるときにはこういう手法も許されるであろう。」と言っております。マーシャルは1つの財やサービスを取り上げました。その需要供給が価格の関数として表現できることにはそれなりの意味があるだろう、しかしまさかそれを経済全体に当てはめることは考えられない、という立場なのです。ではマーシャルのマクロの経済というのはどんな感じになるのか。その雰囲気だけ少しお伝えすると、彼は19世紀の終わりに活躍した人ですが、イギリスの経済が新興のドイツやアメリカに比べてずいぶん追い付かれ、ひょっとすると追い抜かれているかもしれない、という危機感を持ちました。そこで彼はいろいろなことを議論しております。起業家精神の衰退などにも言及しています。マーシャルのマクロ経済に対する議論というのはそういったものなのです。価格の関数として需要と供給を表す、という話はどこにも出てこないのです。ですから、ワルラスの一般均衡理論というのは、フランス特有の知的風土の場から19世紀末にワルラスによって生み出された一つの経済学のやり方ですが、結論を先取りして申し上げれば、これこそが第二次世界大戦後、経済学の中心がアメリカに移ってから現在に至るまで経済学のプロフェッションが引き継いできた基本的なフレームワークだった、と申し上げてよいかと思います。ところが、市場経済にはいわゆる「不都合な真実」というものも存在ます。同時代的に多くの人、特に皆さんのような実務家や政府が議論して大騒ぎする現象、すなわち不況、恐慌、それに伴う失業、場合によっては金融危機など、それらはまさにマクロの現象であり、マクロ経済学のテーマである、と19世紀以来考えられてきました。3.市場経済の「不都合な真実」ワルラスの一般均衡理論あるいは一般に新古典派の経済学というは、ある種、予定調和的なのです。価格がフレキシブルに動いてくれれば、需要と供給が一致するような均衡、ワルラス的にいうと一般均衡が達成されると考えるのです。4.マクロ経済学の誕生今日我々がマクロ経済学と呼んでいる一つのdiscipline(学問分野)、つまり一国経済の、私流にいうなら「不都合な真実」を、いろいろ議論する分野というのは以下の大きく三つの流れの中で誕生してきたと考えられております。(4) 戦後の経済学のフレームワーク: ワルラスの一般均衡理論(1)GDP等マクロの統計整備(19世紀末〜)一つ目の流れは経済全体をマクロで見よう、というattitude(態度)です。それは決して19世紀の終わりとか20世紀初めに生まれたわけではなく、先ほど紹介したペティなどもそういうことをやりました。ペティは王様から、今流に言うなら、新たにイングランドの領土となったアイルランドのGDPを推計せよ、 64 ファイナンス 2022 Sep.(3)マーシャルは部分均衡を分析

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