ファイナンス 2022年9月号 No.682
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本日何度も言及することになるケインズ(J. M. Keynes)の「一般理論」(「雇用・利子及び貨幣の一般理論」)を読みますと、その最後には、実際の経済の運営についての議論をするうえで一番危険なのは経済理論だ、という趣旨のことが書いてあります。いろいろな主張が対立している時に、やはり人間はどこか正しい主張をしていると、自分の主張には根拠があると思う、あるいは思いたいわけです。それは煎じ詰めればある種の経済理論ということになります。近代の経済学の歴史は300年ですが、西洋では古く遡ると、アリストテレスに行き着きますし、中世のトマス・アキナスも様々な言説を唱えています。では東洋の方はどうかというと、中国を見ますと、孔子は経済には冷たいのですが、孔子の孫の世代の孟子になると、同じ名前の「孟子」という書物には経済の話がたくさん出てきて、格差の問題とか、今日でいう社会保障の整備という話も出てきます。以後、中国の儒教を柱とする思想の中では、経済というのは非常に大きな役割を果たしているのです。中国では歴代王朝の正史は、ほぼすべて「食貨志」という経済史を含んでおります。ここに財政のあり方、税のあり方、そうしたことも書かれていて、歴代はじめにご紹介いただきました吉川でございます。本日は「経済学の歴史と経済政策」というタイトルで、私が専門としておりますマクロ経済学の歴史をざっくり300年くらい振り返ってみたいと思います。特にマクロとミクロということについてお話しいたします。王朝が経済に関してどういう策を講じてきたのか、ということがわかります。これを担っていた官僚は、概ね儒家といわれる人たちです。わが日本ですと、江戸時代、儒教特に朱子学が正統とされ、260年間いわゆる儒者というのは、今の言葉ですとエコノミストでありました。経済というのは「経世済民」のことで、「経世家」と言われるエコノミスト、歴代の儒家は新井白石をはじめ何らかの経済論議をしていたのです。いずれにしても孔子の時には経済にやや冷たかった儒教ですが、東洋・中国・日本の歴史の中でも経済に関する議論は長く行われてきました。18世紀の終わりから19世紀の初めにいわゆる産業革命を経て、経済が資本主義に移る頃、イギリスでスミス(A. Smith)、マルサス(T. R. Malthus)、リカード(D. Ricardo)により古典派経済学が確立されたことは皆さまよくご存じのとおりです。最初に指摘したいことは、誕生したころの経済学は、きわめてinterdisciplinary(学際的)な学問、特1.原初、経済学はマクロだった!原初、経済学は当然のことながらマクロでした。一国経済全体の様々な問題を対象にしておりました。西洋で経済学という学問の担い手となった国は、やはりイギリスとフランスということになります。イギリスではヘンリー八世、エリザベス一世といったチューダー王朝の時期に重商主義というものがあり、フランスでは18世紀にフランシス・ケネー(F. Quesnay)という人の重農主義というものがあります。 62 ファイナンス 2022 Sep.令和4年6月8日(水)開催講師演題吉川 洋 氏(財務総合政策研究所名誉所長 東京大学名誉教授)経済学の歴史と経済政策令和4年度職員 トップセミナー

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