ファイナンス 2022年9月号 No.682
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≒元の海岸線京葉線図3 市街図(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成 ファイナンス 2022 Sep. 61幕張新都心イオンモール幕張新都心総武本線千葉街道(国道14)マリンピアプロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。単著に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社、2022年)京葉道路千葉みなと駅千葉銀・市役所て間もない千葉みなと駅前に移った。稲毛海浜ニュータウンなど住宅地の拡大もあって、特に80~90年代は郊外店が増えていった。その後、沿線の幕張新都心と蘇我副都心の開発が本格化する。平成12年(2000)にはカルフール幕張店やコストコホールセール幕張店など大型店の出店が相次いだ。平成17年(2005)にはアリオ蘇我を核とするハーバーシティ蘇我がオープン。平成25年(2013)には店舗面積12万8000m2と全国トップクラスの巨艦郊外店、イオンモール幕張新都心が開業した。平成29年(2017)に三越が閉店したように駅前も盤石ではない。ベイエリアの発展で買い回り商圏が分散したこと、総武本線、京葉線の開通で東京都心の吸引力が強まり、県都商業の求心力が相対的に弱くなったこともある。実は、千葉県の税務署管内別の最高路線価で最も高いのは千葉市ではない。平成24年(2012)から船橋市である。かつての商業中心地の住宅地化が進んでいる。ジャスコ千葉店の跡地は平成19年(2007)に千葉市が取得し、再開発のうえ地上15階建ての複合施設「きぼーる」となった。千葉市科学館や中央区役所が入る。戦後の最高路線価地点だった奈良屋デパートの跡公園を軸とする門前町構想駅前新市街やベイエリアの発展の一方、中央銀座界隈の衰勢否めず、かつてしのぎを削った地場3店は苦戦を余儀なくされた。早々に撤退したのは扇屋で、新千葉そごうが開店する前の平成4年(1992)、百貨店から業態転換していたジャスコ千葉店を閉店。本社は京葉線稲毛海岸駅前にあった基幹店「マリンピア」の隣に移った。奈良屋は平成13年(2001)にセントラルプラザの営業が終了。田畑百貨店から転換した千葉パルコは最後まで残っていたが平成28年(2016)に閉店した。十字屋、緑屋、丸井は平成以前に撤退しており、ピークに6店あった千葉銀座界隈の大型店はすべて消滅している。地は平成21年(2009)に地上43階建てのマンションが建った。千葉パルコの跡地は31階建て、三越の跡地は23階建てのマンションになる予定だ。そうした中、興味深いのは平成27年(2015)に千葉市が策定した「千葉駅周辺の活性化グランドデザイン」だ。中央公園と通町公園を繋ぎ、千葉神社の参道に見立てた公園街路をつくる構想がある。千葉駅から駅前大通りを抜け中央公園・通町公園を経て千葉神社に至る導線ができる。新たにできる公園街路が、本町・千葉銀座の旧市街と、駅前の新市街を包含した一段高いレイヤーの街の「広場」となり、もって新旧市街地が有機的に一体化することが期待される。図2の市街図にイオンモール幕張新都心のシルエットを敷いてみた。中央銀座の扇屋跡からJR千葉駅前までイオンモール全長とほぼ同じだ。ここから2つのヒントが浮かぶ。レイアウトが街そのものでもあるショッピングモールは旧来の中心市街地をまるごと置き換えるほどのインパクトがあること。そして、近現代を通じて変遷した新旧の市街を合わせてもショッピングモールの全長とそれほど変わらないことだ。ショッピングモールのレイアウト設計やテナントミックスにも似た工夫によってコンパクトな街づくりが可能であることを示唆している。

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