ファイナンス 2022年8月号 No.681
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※通関業法の前身となった法律終戦税関官制の廃止第二次世界大戦勃発名古屋税関設置(大阪税関から独立)改正日米通商航海条約の締結、関税定率法(全部改正)施行門司税関設置(長崎税関から独立)税関貨物取扱人法施行関税定率法、関税法、噸税法施行税関官制を制定明治5年11月28日、全国の運上所を「税関」に呼称統一(税関発足)新潟運上所を設置兵庫(神戸)運上所、川口(大阪)運上所を設置江戸運上所を設置箱館(函館)・神奈川・長崎が開港、運上所を設置ペリーが浦賀に来航 1886年制定の錦絵「東都名所鉄砲洲明石橋之景」に描かれた江戸運上所18531859186718681869今も建物が現存している。18671869設置当初の新潟運上所。 1872188618991901190919111937大正時代の監視艇193919431945昭和初期に 密輸された アヘン1886「税関官制」(抄)一方、我が国は、幕末に欧米5か国と結んだ修好通商条約により、自国の関税率を設定したり、改正する権利(いわゆる関税自主権)を喪失していた。これが、修好通商条約が「不平等条約」と呼ばれる所以であり、この状態は、明治44(1911)年の日米通商航海条約の締結及び関税定率法の施行までの間、続いた。安政6(1859)年、わずか3つの開港から始まった外国との貿易では、主に生糸やお茶等が輸出され、綿織物や毛織物等が輸入されていた。その後、日清・日露戦争等を通じて我が国が対外的に勢力を拡大した時期、国内では繊維産業や製鉄、造船等の重工業が飛躍的に発展し、原材料を輸入、製品を輸出する形で我が国の貿易量は飛躍的に伸長した。これにより、昭和元(1926)年の開港は41港にまで増加し、各地には多くの税関官署が設置されていった。このように急増する輸出入貨物の流れを停滞させないよう、税関においては、新たな制度やシステムを導入し、通関の迅速化を図った。昭和41(1966)年には関税の申告納税制度を導入し、昭和53(1978)年には通関業務を電子化した航空貨物通関情報処理システム(Air-NACCS)を導入する等、通関手続を合理化し、貿易の加速化に対応していった。税関の歴史誕生近代国家の成立とともに 税関行政の基礎が確立幕末から輸出入貨物に対する税の徴収及び入出港する船舶の監督等を行っていた「運上所」が明治5年11月28日(1872年)、「税関」に改称された。明治19(1886)年には「税関官制」が制定され、税関の職制、機構等の官制面における基礎が固まった。飛躍戦後の高度成長による貿易の伸長戦時中、貿易が停滞し、一時的に閉鎖されていた税関は、外国貿易の再開と共に終戦後間もなくして復活した。当時の主な業務は海外からの引揚者の為替管理の事務や敗戦の混乱に乗じて横行しはじめた密貿易の取締りであった。我が国は戦後の復興を経て、高度経済成長期を迎えた。経済成長に比例するように、昭和35(1960)年から昭和44(1969)年までの10年間で貿易額は約3兆764億円から約11兆1,649億円へと一気に拡大した。 4 ファイナンス 2022 Aug.幕末に設置された「運上所」が「税関」へと改称し正式に発足した

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