ファイナンス 2022年8月号 No.681
64/74

福井税務署 総務課長佐々木 裕一〔「福井」の地名の由来 名井「福の井」〕(唐門)〔一乗谷朝倉氏遺跡〕管内の名所管内は嶺北地方の中心である福井平野に位置し、東西にやや細長く広がっており、西は日本海(越前海岸)に面し、東は九頭竜川(全長116km)に沿って大野市などの奥越地方に接しています。また、当署がある福井市は、九頭竜川・足羽川・日野川の三大河川が合流する福井平野の中央に位置し、豊かな水と肥沃な土壌に恵まれて、集落が形成され、かつては「北ノ庄」と呼ばれていました。そしてこの地に、1575年、柴田勝家が「北ノ庄城」を築城してから、越前国の中心地として発展しました。その後、1624年に「北」は敗北に通じることから、「福居」に改められ、福井城址の天守閣跡の脇に今も残る名井「福の井」から「福井」に改められたとの起源説があります。はじめに福井税務署は、明治29年11月に設置され、庁舎は平成7年8月に福井春山合同庁舎に移転後、現在に至っており、県経済の中心地である福井市と曹洞宗大本山永平寺を有する吉田郡永平寺町の1市1町(管内面積約631km2、管内人口約279,000人)を管轄しています。一乗谷朝倉氏遺跡は、1471年に初代朝倉孝景が越前国を掌握してから、5代義景まで103年間にわたり栄華を誇った戦国大名の朝倉氏が、三方を山で囲まれた守りの面で軍事環境に適した「一乗谷」の地に築いた戦国城下町の遺跡です。昭和42年に初めて本格的な発掘調査が行われ、戦国時代の山城と城下町が良好な状態で残されている極めて重要な歴史的価値がある遺跡と認められたため、国の特別史跡に指定されました。以来、発掘調査が続けられ、「唐門」で有名な当主の館をはじめ、武家屋敷、寺院、職人たちの町屋、さらにそれを結ぶ道路に至るまで、戦国時代の町並みが当時の姿を残して発掘され、織田信長によって焼き払われた後、400年もの時を経て、地中から蘇りました。最近では、テレビCMのロケ地や明智光秀のゆかりの地としても話題となったこともあり、多くの観光客が訪れています。 60 ファイナンス 2022 Aug.豊かな自然と歴史ロマンに出会える街 福井福井

元のページ  ../index.html#64

このブックを見る