ファイナンス 2022年8月号 No.681
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(3)フィリピンで貧困層教育に従事(4)変革を起こす人を育成する学校創設へ(1)資金集めに苦労ホームステイに来ないかと誘ってくれたのです。喜んで出かけて見ると、彼女の家は質素な家で、ドラム缶に雨水を貯めてそれで洗濯をしておりました。彼女の叔父さん曰く、「うちは中流階級ですよ。3度の食事ができて、家があって、職があるからです。あなた、本当の貧困を見たほうがいいよ」と。それで連れて行ってもらったのがスラム街です。今でもその時の光景が臭いまで含めて思い出せる気がします。メキシコの灼熱の太陽の下に広がる広大なスラム街、昼間なのに子供たちは学校に行かずに走り回っていて、大人はただ目の前に座っていて宙を眺めているだけ。ああ、これがスラム街か・・、こんな貧困、教育格差があるのか、と衝撃を受けました。私は受験とか奨学金とかラッキーなことが続いてきたのですが、これは私のためだけにラッキーなのではなくて、たくさんの方のために何かをなすべく授かった幸運なのではないか、という使命感を覚えたのが17歳の夏の出来事でした。次の大きな転機は、前職であるユニセフのフィリピン事務所時代に貧困層教育に従事したことです。先ほど申し上げたようにメキシコでの原体験もありましたので、まさにこれをやりたかったのです。ところが、フィリピンに滞在された経験がある方はお判りでしょうが、圧倒的な格差と渦巻く汚職に直面します。こうした中で貧困に対処するだけで何か根底が変わっていくのだろうか、という問題意識を持ち始めたのが2005年から2007年あたりにかけてです。そうしていくうちに、社会に新しい変革を起こす人を育成するための学校を一緒に創設しよう、という人が現れたのが2007年です。私は折角ユニセフに職を得たこともあり、学校づくりのためにユニセフを辞めてしまうのはどうか、と1年逡巡しましたが、2008年に「やはりやろう」と決意して、ユニセフを辞めて日本に帰ってきました。そして、その翌月にリーマンショックが起きたのです。当初は一緒にやろうと言ってくださった方が20億円を用意できる、というお話でしたが、リーマンショック後にその方から「申し分けないが、20億円でなく、200万円になってしまった」と連絡が来ました。その当時は一般財団法人を立ち上げるのに300万円必要だったので、その方の200万円と私の貯金の100万円とで立ち上げる羽目になりました。学校づくりで苦労した点は、1つ目が資金集め、2つ目が用地探し、3つ目が行政の許認可でした。時間の関係もあり、1つ目だけお話しします。資金集めに関しては、前述の通りリーマンショックの影響で20億円が200万円になってしまいました。そこで私は、共同創設者の方のご紹介もあって、雑誌に出てくるような有名な資産家の方々に片っ端からコンタクトを取ってお会いしてみました。皆さん、学校創設の主旨は理解してくださるのですが、1円も集まりませんでした。ことごとく断られました。そうした中で2010年初頭にある起業家の友人が「アーリースモールサクセス(early small success)が大事だよ」とアドバイスしてくれました。つまり、初期の段階で、小さくてもいいから、何か結果を出してみることが大事だ、ということです。そうでないと、20億円集めたいと言っても誰も信じてくれないのです。そうか、と思って取り組んだのが、2010年のサマースクールです。このサマースクールを見てくださったたくさんの方々が「これ、もしかしたらいい学校なるかもしれない」と言ってくれたのです。最初の出資者はこのサマースクールの生徒の母親でした。その方が1,000万円出してくださいました。そうか、1,000万円なんていう金額を個人の方から出してもらえるのか。ならば1,000万円×100人の出資者を募り、まず10億円を集めて学校を作ろう、ということになりました。3.学校プロジェクト:様々な困難このように衝撃的なスタートから始まった学校創設のプロジェクトですが、どうやって開校にまでこぎつけたのか、ということもお話ししたいと思います。 40 ファイナンス 2022 Aug.

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