ファイナンス 2022年8月号 No.681
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(出所)府県統計書(明治期)、大蔵省土地賃貸価格調査事業報告書(大正15)、国税庁路線価(昭和32年以降)等から筆者作成。拠点性を有するも最高路線価でない場所を薄地で示した。図2 連載27都市における最高宅地価・最高路線価地点の変遷回都市名1宮城県石巻市2山形県山形市3岩手県盛岡市5宮城県仙台市6石川県金沢市7兵庫県尼崎市8鹿児島県鹿児島市9熊本県熊本市10富山県富山市11香川県高松市12神奈川県小田原市13沖縄県那覇市14東京都日本橋15長野県松本市16埼玉県大宮17福岡県大牟田市19神奈川県横浜市20青森県青森市21東京都築地・銀座22栃木県宇都宮市23滋賀県大津市24滋賀県長浜市25岐阜県大垣市26茨城県土浦市27長野県長野市28新潟県新潟市29東京都浅草・上野明治大正15(1926)中町七日町本町横町呉服町芭蕉の辻尾張町大町4/5、名掛丁武蔵が辻宮町(本町)天文館花畑町中町丸亀町駅東口広場東町日本橋通1(室町)室町本町広馬場通り唐人町・古町東四十物町万年町→幸町本船町築町伊勢佐木町新安方町尾張町(銀座4)馬場町御蔵町(浜大津)御堂前郭町本町大門町古町茶屋町(雷門)弁天通本町築地本郷町柳町御堂前俵町・竹島町本町大門町本町茶屋町(雷門)昭和32(1957)~橋通り→立町→駅前→蛇田七日町→駅前通り菜園青葉通(駅前)片町→香林坊→駅東三和本通→阪急塚口→駅前天文館新市街→下通総曲輪・桜橋→駅前丸亀町→兵庫町→中央通→丸亀町駅東口広場神里原→牧志→久茂地駅前通り銀座通(駅東口)→駅西口本町→新栄町→駅前伊勢佐木町→駅西口新町銀座4丁目馬場町→宮みらい(駅東口)菱屋町→駅前横町→駅前郭町→高屋町(駅前)祇園町→駅前権堂→新田町→石堂町→駅前古町・万代地区→駅前上野広小路現在12~蛇田75~駅前通り菜園青葉通10~駅東広場10~阪神尼崎駅前天文館60~下通92~駅前通り14~丸亀町駅東口広場02~久茂地室町駅前通り92~駅西口広場02~駅前65~横浜駅西口新町銀座4丁目20~宮みらい87~駅前通り駅前88~高屋町70~駅前通り86~駅前通り89~駅前通り上野広小路ロードサイド新中里→蛇田地区西バイパス沿線盛南地区-駅西新都心---国道359号沿線レインボー通酒匂おもろまち--さいたま新都心旭町みなとみらい浜田地区-環状道路沿線におの浜→草津長浜バイパス駅北側05~つくば駅前-亀田地区-ファイナンス 2022 Aug. 35上書きするパターンと、既存の街の外側に新しい街ができるパターンがある。上書きパターンの典型は戦災含む災害復興の区画整理だ。街の外側に新たな街ができるパターンにも様々あって、最も古いのが明治初期の官庁街だ。連載では山形や宇都宮がその例で、どちらも三島通庸が県令の時代に城下町の外に造成された。城下町以外では長野や青森の官庁街がこの部類に入る。大正昭和の再開発事業で新しい街ができ、後に中心街になった例もある。例えば盛岡の最高路線価地点は戦前から菜園だが、それ以前は中津川舟運の後背地、奥州街道の呉服町が一等地だった。呉服町からみて菜園は盛岡城の裏手にあたる。元々岩手農学校と実習田があったが区画整理で碁盤目状の新しい街ができた。熊本の新市街地区には元々第6師団の施設があった。郊外移転した軍用地の跡地再開発でできた新しい街が「新市街」だ。新市街を南北に貫く幹線道路に市電が敷設され、唐人町界隈から銀行が移転してきた。昭和5年(1930)に銀丁百貨店が開店。その場所は、昭和35年(1960)に最高路線価地点が下通に移るまで熊本で最も地価が高かった。市内を流れる川の幅を狭め、跡地に新しい街を造成したケースが富山と新潟だ。富山のケースは神通川跡地に県庁市役所や北陸電力が移転し昭和モダンの街ができた。新潟は信濃川の西岸を埋め立てた。今の万代地区で造成当初は新潟交通の拠点施設があったが、後に百貨店やGMSが集まる一大商業地域に転じた。戦後、舟運が廃れて鉄道の時代となり、元々郊外だった駅前が発展する。俯瞰すれば交通手段の主役交代を反映した中心地の移転だが、それまで閑散としていた駅前の開発を伴うケースも多々みられた。連載した中では松本や横浜がその代表例で、横浜駅西口は昭和27年(1952)に相模鉄道が買収し開発に着手するまで広大な空き地だった。資材置き場に使われていたほどだがその後急速に発展し昭和40年(1965)には最高路線価地点が伊勢佐木町に取って代わる。業態間競争が進める街の歴史第3の前提は「街の歴史物語の主要キャストは地方

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