ファイナンス 2022年7月号 No.680
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ファイナンス 2022 Jul. 81提供 那覇市提供 那覇市 那覇(琉球王朝祭(首里城際))11月3日に城下町・首里で行われる王朝時代の国王行列。他府県から出向している当関職員も沖縄での記念に毎年4~5名の方が参加していました。国王と王妃は一般公募の中から選出されます。(首里城正殿(国指定史跡))王の政務や様々な儀式が行われた、域内で最も重要な建物。先の大戦で焼失しましたが、1992年11月3日、復元・公開されました。首里城は14世紀中期以降幾度となく焼け、再建や改修工事が行われていたようです。今回の復元では、1712年から15年にかけて再建され、沖縄戦で焼失した正殿をモデルとしています。正殿は沖縄最大の木造建築というだけではなく、琉球建築を最もよく表現したもので、二重三層(二重屋根三階建)の造り。禅宗様式を採りつつも、随所に中国的意匠がみられ、琉球独自の様式も見受けられます。正殿は西面し、大龍柱一対が建つ。正面屋根は唐破風、上層屋根は入母屋造の本瓦葺、両端に龍頭の棟飾りがあります。国殿、百浦添「カラファーフ」とも呼ばれていました。建築面積637m2、最高棟高15.6m、延べ面積1,199m2。2019年10月31日、県民(うちなーんちゅ)の心のよりどころであった首里城正殿が残念なことに全焼しました。筆者は首里城を横目に見つつのモノレール通勤でしたが、火災後は何とも言えない気持ちになったのを昨日のことのように覚えています。首里城の存在をそんなに意識していないと思っていたのですが、喪失感はかなり大きいものでした。那覇市は再建に向け、募金を開始、市民をはじめ、多くの人々からわずか一か月で10億円が集まったということからもいかに首里城が県民等にとって、重要なのかを計り知ることができます。(国際通り・平和通り)安里三叉路から、パレットくもじ前交差点までの1.6kmが、沖縄で一番賑やかな国際通り。戦前は湿地帯でしたが、米軍によって道が敷かれ急速に発展しました。奇跡の1マイルとも呼ばれています。(壷屋やちむん通り)終戦後の那覇の復興のシンボルとして陶芸店が軒を重ねています。かの有名な国の重要無形文化財「琉球陶器」技能保持者、沖縄県初の人間国宝である金城次郎氏も壺屋に工房を構えていました。焼物博物館で壷屋の歴史に触れるのもいとをかし。

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