ファイナンス 2022年7月号 No.680
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*7) 「■西・井伊論文に対するコメント」https://www.mof.go.jp/pri/publication/■nancial_review/fr_list8/r148/r148_07.pdf*8) https://www.mof.go.jp/pri/publication/■nancial_review/fr_list8/r148/r148_01.pdf 64 ファイナンス 2022 Jul.を一部導入するといった方法があります。加えて医療機関を集約化させていくことも重要です。地域医療構想は少しずつ進んでいますが、日本の場合民間病院が多いため話し合いで進めるのは難しいと感じます。日本の医療は機能分化できていないという問題もあります。特徴として、大きな病院も中小の病院も同じような患者を診ており、診療所の役割が不明確です。多くの国では診療所は保健所が持つ公衆衛生の機能を持っています。そういう公的な役割を担っているという責任感が日本の診療所ではあまり意識されていません。予防も含めて公衆衛生の機能も持つのが診療所であり、そこで働くのが海外だとGP(家庭医)、日本では総合診療専門医と呼ばれている人たちです。海外では普段からかかっている診療所でPCR検査、自宅療養のケア、退院後のケアなども受けられますが、日本ではそうはなっていません。網谷:■西・井伊論文に対する印南先生のコメント*7にあるように「過剰」「過少」を線引きして最適量を1点でとらえるのは難しく、適正といわれるであろう範囲があるといった議論もあったと思います。「過剰」「過少」の定義を考える際の視点についてはどのようにお考えですか。井伊:序文*8にも書きましたが、印南先生の指摘はとても重要です。過剰でも過少でもない医療をRight care(適正な医療)と定義していますが、Right careは一つの値として最適な量が一点で定まるものではありません。最適な医療は研究のエビデンスから導くこともできますが、エビデンスがあるからといって完璧でも確実でもないですし、新しい研究が出てくるたびにたえずアップデートされていくものです。そのため、現在得られる最良の研究エビデンスを参考にして、医師の専門性と経験、個々の患者の状況と環境も考慮したうえで医師と患者がともに決めていくという共同意思決定が重要です(葛西・井伊論文)。特に医療のエビデンスは過去の研究の平均であり、サンプルが異なれば変わる可能性もあります。当然過去のサンプルが対象になるので、目の前の患者はエビデンス(過去の研究)に入っていません。その人の場合はどうなのかというと、こういうエビデンスはあるけれど自分はやはりこの薬は飲みたくないなど、医師と患者が相談しながら共同意思決定をしないといけない、というのが世界の標準になっています。Evidence-basedでも環境などを考慮していくことで、ある人にとっては適正医療だとしても、同じ病気を持つ別の人にとっては過剰や過少になることもあり、個々人によって異なります。そのような判断や伝え方を本来かかりつけ医が勉強しないといけないのですが、日本は専門トレーニングを受けたGPにあたる医師がほぼ皆無です。一方OECDのデータなどを見ると全医師の2~4割程度がGPや家庭医なので(表1)、この差は驚きですよね。GPの仕事は不確実性との闘いです。例えば肺がんの専門医は検査の結果肺がんと診断された患者に対してどういう治療をするかという話になりますが、かかりつけ医の仕事はそもそも病気かどうかわからない、検査結果で異常は見られないけれど「すごくつらいんです」という患者をどうケアするか、という不確実性の中で患者と一緒に闘ってくれる存在です。日本にはそういう医師がいなくて、患者がインターネットで調べたりいくつもドクターショッピングをしたりしています。日本の受診回数の多さはそれだけ医師にケアされているわけではなく、もしかすると迷って色々な所に右往左往して受診回数が増えているのかもしれません。

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